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美大受験の現実。

美術科のクラスに入ったものの、芸術について考えたことがなかったが、大学に受からなければなかったので、高校2年生から石膏デッサンを始めた。絵は上手く描けた方がいい。その絵が芸術としてどうかというより、上手く描けた方がストレスにならない。なぜなら人から評価されやすいからだ。若い時は、とにかくそんなふうに考える。

しかし、うまく描けなかった。上手く描ける人がいると、途方もなく嫉妬して落ち込んだ。
「先生、私は才能あるのでしょうか」
高校の美術の先生に質問したら、こんな言葉が返って来た。
「そういう質問って、病人が医者に『私は明日死にますか』と聞いているようなもんだぞ」

先生はさらに言った。
「誰にでも個性があるように、誰にでも才能の「かけら」がある。かけらだよ。ちっぽけな。それを努力で磨いていって、誰もが認めるような『才能』になるんだ」

当時、私は、先生の言葉の意味がよくわからなかった。しかし、今の目的に向かわなくてはならなかった。
高校の美術科で教わるのは基本的なデッサンだったので、美術大学の受験をするなら戦略的な指導をする美大予備校へ行くことを勧められた。

志望校合格のための戦略

予備校には何年も浪人しているめちゃくちゃ上手い人がいた。その人たちがなぜ大学に入れないのか不思議だった。
後で分かったが、予備校は受験対策として、志望大学の傾向にあった絵を描くように指導する。頭の柔軟な現役高校生は、受験対策に素直に従うが、熟練しプライドもある浪人生は、私立大学の受験対策は無視して、自身の画風で芸大に挑む人も多かった。
確かに私がムサビに入った当時、一番多かったのは1浪だった。何年も浪人すると私大受験は不利なようだ。

もしあの時、芸術や個性がなんたるかがわかっていたら、私は美大受験にあれだけ力を注げなかったと思う。芸術が個性の結晶だとしたら、受験生の絵は美術大学の嗜好品だ。だけど戦略に従った人が大学の肩書を手に入れ、学生生活を謳歌できるのが現実だった(真剣に制作するか否かは別として)。

美大予備校の広告で「〇〇大学〇〇名合格」のキャッチコピーの元に、似たようなデッサンが羅列されているのを見ると、今も、背筋が寒くなる。「絶対現役で合格」なんて無謀な賭けをよくしていたものだなと思う。個性も才能もわからないまま、他人の好みに合わせることに命を賭けて、不合格だったら自殺してたんじゃないか。

「発信し続ける」ということ。

技術的な鍛錬。これは登竜門でしかない。
世界的に活動しているアーティストは、美術大学を出ていない人もいる。独学で勉強して、アートを社会に発信している。彼らは自身に才能があると思っていない。「とにかく発信し続けて、認められるのは自身が死んだ後だ」という。

高校2年の時に先生から聞いた言葉と、今活躍している現代アーティストの言葉は、確かにリンクしている。自身が何者であるかを問い続けることが技術の熟練につながり、社会に発信し続けることが、才能を磨いていくことになるのだ。


About TOMOMI SATO〜人生開拓アーティスト佐藤智美 プロフィール

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