DaiGoさんが涙ぐみながら、亡くなった母のことを話していたのを見ると、母が支えだったのかなと思う。
今年で78になる私の母も、困ったことがあると祖母のことを回顧する。生きていても死んでいても、「母」とは繋がりがあるものなのだなあと思う。
私は母と衝突することが多かった。いつも私の気持ちをわかって欲しいと思っていたけれど、母にも抱えている想いがあり、私が母の思い通りにならなかった時のことを今頃持ち出したりするので、ディスられた気がして不快になった。何度も母には支えになってもらったけど、せっかく高まっていたモチベーションを削がれたことも同じくらいあった。
とはいえ、弱ってネガティブな気持ちになった時に、ちょっと休める場所があると心が落ち着くもんだ。
問題は、そこに居座り続けようとしまうことだ。
人はなぜ人を批判したり糾弾したりするのか。
特に、今まで絶大な信頼を寄せていた政治家や起業家、人気タレントのプライベートを暴いて貶めるのは、本当は、それらの人を”完全に信望し依存したい心”の裏返しではないだろうか。
——本当にあなたを信じていいの?私を裏切ったりしない?でもあなた、こんなことやってますよね?私たちを支えられますか?導いてくれますか?
大衆の気分を感じ取ったマスコミが、魅力的な有名人のことを調べ上げて、人間臭い部分が出てくると寄ってたかって糾弾する。
この「人間臭い部分」というのがミソで、大衆側にもそういうところがありながらも認めていないものを、「信頼したい人」「魅了している人」が持っていることが許せないのだ。
政治家も芸能人も人間だ。大衆の「幻想」で祭り上げられた人は悲惨だ。名前が表に出るときは、それ相当の覚悟をしたと思うけど、社会的圧力が一人の人間を潰すのは簡単だ。
心理学の勉強を始めてから「自分の足で立つ」ということがどういうことなのか、知ることができた。自分軸でいようとすると、ありのままの他人も見えてくる。私が今まで頼りにしていた人も、責任の重みに疲れて休みたがっていた。強がっていた顔が綻んだのを見ると、私の心も和らいだ。
人は人の完全な支えにはなれない。ほんの一時の腰掛けにはなれるけども。
不倫問題が明るみに出た時、男性よりも女性の方が糾弾されるのは、男性(社会)は女性に「安らぎ」を求めるからだ。でも女性は神でも仏でもなく、完全な安らぎの場所にはなり得ないし、また男性も、完璧な指導者や支配者などなり得ない。
それでも、帰る場所が欲しい。私は、どこへ帰ればいいのだろう。
YouTubeではいろんなスピリチュアリストが発信している。「ちょっとこれ、言ったらまずいんじゃないの?」と思うことが、すごく的を射ていると感じる時もある。
本当に自由な時代になったものだ。世間で変人扱いされているかもしれない、このような人たちの叡知は、世の中の常識を逆さまから見て、閉塞的な日常の突破口を示してくれる。
そうしているうちに、「グラウンディング」というキーワードが私に入ってきた。これは「自然や大地とつながる」ことだ。
名前は忘れたが、あるスピリチュアルカウンセラーが「グラウンディングワーク」を紹介していた。やってみたら、心と体の緊張がすっと和らいだ気がした。
私たちは、産んでくれた「母」を愛し敬う。でも本当は「母」という存在を通して、「自然」と繋がりたいのではないかと思う。すべての命が育まれ、その生命力を生かすことが許される寛容な大地へ帰りたがっているのだ。
絵:アンリ・ルソー『眠るジプシー女』1897年
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