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傷心が創り上げた芸術。

3年前、東京都美術館で開催された藤田嗣治展に行った。そんなに好きな作家ではなかったけど、大学受験の予備校の先生が好きだったこともあり(「デッサンのすすめ」という著書を薦められ、その本が今も家にある)見ておこうと思った。
正直、若い頃の作品の方が好きだ。特に女性像の柔らかなフォルムと肌の滑らかな白さは、当時パリの社交界の人気者だった藤田の、女性への憧れが色濃く出ているし、創作への貪欲さも窺えた。

戦争中、日本にいる時は、戦争記録画を描くよう政府から要請され、従軍画家となった。その頃の絵は、「本当に藤田嗣治の絵なの?」と思うようなものだった。まるでパリで養った優美な感性が失われてしまったかのように、壮絶でリアルだ。彼は日本で何を見たのだろう。


藤田嗣治 アッツ島玉砕(1943年)


終戦後は戦争画を描くことはなかったが、連合国軍の占領下で、日本美術会の書記長で同時期に日本共産党に入党した内田巌などにより、半ばスケープゴートに近い形で「戦争協力者」と非難された。藤田は、1949年に渡仏の許可が得られるとフランスへ移住し、生涯日本には戻らなかった。
彼が日本を去るときに遺した言葉が、「絵描きは絵だけ描いて下さい。仲間喧嘩をしないで下さい。日本画壇は早く国際水準に到達して下さい」だった。

パリ移住後の藤田の絵には、洒落な作風がいくらか戻ったが、日本での傷心が彼の芸術に影響を与えたのだろうか、宗教画のような精神性、寓話性も現れた。


藤田嗣治 礼拝 1962-63年



TOMOMI SATO
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