父の病気が悪化した。

今月半ばに心臓の手術を受け、先週退院予定だった父が、肺炎を患い再入院した。体重も減り、かなり弱ってしまったらしい。病院側で治療に全力を尽くすが、看護師の話を聞くと回復の可能性は五分五分のようだ。
コロナ対策のため病院での面会は禁止されており、会えないまま逝ってしまうかもしれない….。電話の声から、母の落胆と不安が伝わってきて、私も鳩尾の辺りが押しつぶされそうだった。

今まで割とすぐに感情をぶつけるのが母だったけど、今回は気丈にふるまおうとしていて、それが痛々しかった。ここ1〜2年はコロナ禍で帰省することができなかった。電話で話す時の母は、疲れ切って冷静な判断を欠いているようで心配はしていたのだが、今となってはそれに触れることもできず、ただ母の辛い心境を受け止めていた。
今はどんなアドバイスも役に立たない。ただ悲しみを受け止めることが何よりもの救いになるだろう。

私の実家は家族間の距離も近く絆も強かった。それだけに、自立心が育ちにくい環境だったけど、どんな時も互いに寄り添い助け合おうとする愛情深い家族だった。
私は20代で家を一人飛び出した。人間たるもの、自分の意志を持って人生を創り上げることなしに幸福はないと信じて生きてきた。そしてそうあらない人に対して批判的な目で見ていた。

しかし今こうして悲しむ母を見ていると、母が今までどんなに懸命に父や家族を愛してきたかわかる。人間だから、間違えてしまうこともある。物事に真剣に向き合ううちに、視界が狭くなり冷静な判断を欠いてしまうことも。

私だって、誰も傷つけまい、間違うまいとして冷静さを失わないようにしていても、その振る舞いは本当に傷ついている人には何の役にもならないどころか、さらに傷つけることだってある。そもそも何も間違わずにいこうなんて、傲慢なんじゃないか。
やりたいことや目標などがなくても、そばにいる人を大切にし、時を共有して生きていく人生もあるのだ、ということを、ようやく認めることができた。

感情の力は向こう見ずで、気を抜くと、すべてを飲み込んでしまうようで、怖かった。でも、愛をそういう形で表現しても、思いが強くて真っ直ぐなら人を動かすこともできるのだ。

母自身はとっても感情的な人なのに、「冷静でいることが正しい」と自他ともに言い聞かせていたし、一般常識の大切さをいつも私に諭していた。でもそんな母に現実感を感じなかった。お母さん、そんなこと本当にできるの?って。

一般常識や冷静な判断は、安全な日常を送るために必要不可欠だ。いつ暴れ出すかわからない本能のストッパーとして、人間関係、礼儀、責任、義務、義理、人情などが機能している。そういう社会があってもいいな、と思った時、今の私は既にそういう世界から離れていることに気づいた。社会のルールよりも、さらに生きやすい自分のルールに従って生きている。この先にどんなことが起ころうとも、そのとき生きやすい自分になればいい、という自信がいつの間にか備わっていた。

でも10年後には大病を患うかもしれないし、家族の助けが必要になるかもしれない。あんなに人の世話になることを嫌っていた父が今、家族を巻き込んでまで苦しんでいるし、私だってそうならないとは限らない。
だから家族を大切にしようとか、家族に尽くそうとか気張らずに、今の自分、取り巻く世界を丸ごと愛していければと思う。




About TOMOMI SATO〜人生開拓アーティスト佐藤智美 プロフィール

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