蓋の下で、「見たくない自分」が訴えている。

昨晩、Youtubeで、スピリチュアルカウンセラーみちよさんの動画を見ていた。どんなにセッションとかワークをやっても人生を変えられない人が、なぜいるのか、という、興味深い内容だった。
基本的に、いくら外側からのアプローチをやっても、内側の気づきがなければ、人生を変えることはできないらしい。その内側には何があるのか、というと、「見たくない自分」だ。

私たちの表層意識と潜在意識の間には、蓋がある。セッションやワークでアプローチすると潜在意識の蓋を刺激する。しかし蓋の下の、「見たくない自分」が、怖がって蓋を揺らすのだ。

「怖い」という感情は、よく感じていた。例えば、皆に調子を合わせるような女性や、愚痴を言って周囲に甘えるような女性と必要以上に関わりたくないと思っていた。また男性にあからさまな下ネタ話をされる時も、恐怖を感じていた。どうしてそう感じるのか、自分でもよくわからなかった。

過去を探っていくと、子供の頃、仲良くしていた女友達に秘密をバラされたり、母に弱みを握られて窮地に立たされたことがあった。また、理不尽な扱いをうけ父に訴えた時に、「感情を出すな、強くなければいけない」と拒絶され傷ついたこともある。

私は人間関係においてコントロールに敏感だ。一度それを感じると、すぐに警戒のスイッチが入る。
支配、依存、防御は、愛のような顔をして人に近づき、傷つけたり搾取したりするものだ、いう観念が、いつの間にか私の奥底に住み着いていた。

蓋の下で「見たくない自分」は、放置された空虚に気付いてほしいと、いつも訴え、誰かを引き寄せている。

今まで出会った人も、これから出会う人も、私の映し鏡なのだと思う。こうして、人に癒されることを願いながら、自分や人を癒す術を学んでいくのかもしれない。その寂しさを抱きしめてあげたら、私も楽になれるかな。

気付いたら、深夜1:00だった。私は布団に入った。





目覚めた後、体が重かった。夫の入院中に味わった感情が、予想以上に体に負担をかけていた。
「俺がいなくなったら、娘が一人になっちゃうなんてかわいそう、って親戚が言ってたらしいよ」
昨晩のお茶の時間に、夫は痛そうな顔で打ち明けた。病院では、彼自身も怪我の痛みや、手術への不安と恐怖、治療の忙しなさに疲労していた。しかし、それをあまり感じさせない顔で、退院翌日からいつもの業務に入った。


他人の心遣いが余計なお世話になる時とは、当事者よりも周囲の感情が重くなる時だ。どんな責任も苦労も何食わぬ顔で対応する彼の内側で起こっていることを思うと、きゅっと胸が痛くなる。

お互いにいつか、心の蓋を外そうね、と、私は思う。





ふっと、誰かを抱きしめたくなる、この感情は、誰にでも起こりうるのではないかしら。
日本の社会では、それは「不道徳なこと」として激しく批判される。特に近年は、多くの著名人が些細なことから槍玉にあげられ、消えていった。

「不道徳なこと」を推奨しているわけではないが、今まで社会でタブー視されていたことが、新しい視点を作る岐路に立っている気がする。
閉塞的状況にいた人が、心地よい生き方を見つけるきっかけになるなら、多少変化球な繋がり方もありなのではと、ちょっと思った。
そして世間の批判を承知で、革新的な道を説いているYoutuber達には、いつも感謝している。


About TOMOMI SATO〜人生開拓アーティスト佐藤智美 プロフィール

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言葉とアートで人生をブレイクスルーするフリーランス画家 佐藤智美

いろいろなものの影響を受けて
合理的に変わっていく生活の節々で、太古から引き継がれてきた私たちの感情が
、社会の波動を受けて揺れた瞬間を切り取って書いています。

生まれては死んでいく運命を持った
人間である限り、変わらないであろう幸せのヒントがそこにあると思うからです。


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