ネットでは毒親関連のチャンネルが多くアップされている。毒親介護、毒親対処法..なんか、毒親で悩んでいる人が多いんだなあと思う。
その中で「毒親介護でやってはいけないこと」という動画があったので見てみた。Youtuberの女性は多分、私と同じかちょっと上くらいの年齢で、子供はいない。
彼女は幼い頃、愚痴や不平不満を言いながら義父母や母の介護をする母親の姿を見て育った。介護はやらなければいけないと思っていたが、母親と一緒にいると罵声を飛ばされて体調が悪くなってしまうので、今はできる範囲でやっているという。
「現在お子さんがいる方で、自分が親の介護をする姿を子供に姿を見せていれば、子供も自分の世話をしてくれると思っている人がいますけど、それは押しつけだと思います。なぜならは親の人生と子供の人生は違うからです。「親の介護をする」というのは、その人の人生の選択で、子供がそれを選択するとは限らないのです」
その通りだと思った。今も社会は刻々と変化していて、これから20年、30年先、親の介護をする余裕が子供にあるかもわからない。どうして女は、「自分がやっていれば、子供もやる」と思うのだろうか。
いろんなところで出会う主婦たちも、家族に献身的に尽くしていれば返ってくると思っていて、いつも違和感を覚えていた。
「女」って、魂と社会が繋がりにくい。女って、なんなのだろうか。
ダブルバインド による自己矛盾
小学校低学年の頃は、自分が女かどうかなんて考えたことはなかった。当時住んでいた福岡は山や田んぼが身近にあり、それらに触れているだけで幸せだった。思春期に入り都会に住むようになると、学校では学力にや体力によるカーストができて、私はポジションを取るために勉強やスポーツを頑張り始めた。
創作や学習などは好きだったが、料理などの家事は苦手だった。母からは、「あんたは女としてダメ」と「絵が描けて羨ましい」という、全く違う意味合いの言葉を同時にかけられていた。肯定されているのか否定されているのかわからず困惑したが、養育者なので従わなくてはならなかった。
多分母は、「社会で受け入れられる女性像」と「自分がなりたい女性像」を私に投影していたのだと思う。そしてこのダブルバインドは、大人になってから私を自己矛盾に追い込んでいくことになる。
大学に入ると、多くの友達は勉強よりも友達やボーイフレンドと遊ぶことに夢中になっていた。私はどうしてもそこにたどり着かない。とにかく男が恐怖で、自分を晒したら傷つけられると思っていたので、経験を積んで恋愛テクニックをつけていく女子とは、どんどん隔たりができていった。
大学を卒業してからの私は、これまで打ち込んできた美術を生かすために仕事に精力を注いだ。しかしどの職場にいても、私の邪魔をするのは「女」として満たされない女だった。彼女たちは私の服装を貶したり、変な噂を流したり、子供じみた意地悪で私を苦しめた。
多分私も、当時は女として自信がなかったので、同じような問題を抱えた女が引き寄せられたんだろうなと思う。
30歳でフリーランスになると、今度は迫ってくる出産リミットについて悩まされる。これまで仕事を頑張ってきた私が、子育てをする姿が想像できなかったし、子供を育てていくうちにエゴイスティックになっていく母親たちにも不快感があった。でもそう考える自分の心と体につながりが見出せずに、答えを求めて小説を書いたり仏教の本などを読み漁ったりした。
当時、日本の社会では子供のいじめや犯罪などが多発し、子育てや教育のあり方について頻繁に論じられていた。「子供を育てるのにかかる費用が○百万円」、「子育て鬱」、「ママ友トラブル」などの話を聞くたび不安になったけど、タイムリミットが近づいてきて、見切り発車で出産した。
子供が生まれてみると、心配していたようなトラブルは起きなかった。お腹から出てきた娘は想像していたより個性を持っていて、感情表現をし、楽しむことを知っていた。思いの外、私は穏やかな育児ライフを送ることができた。母を喜ばせることができたし、やっと「一般」の女になれた気がしたが、それは全く表面的なことだったと後で気付かされる。
加熱する「ポジション取り」
明るい性格の娘は保育園でも学校でも人気者で、いろんなお母さんが近寄ってきた。私は彼女たちが、子供のために付き合っているのか自分のために付き合っているのか、しばしば錯覚を起こし、距離を取り間違えた。
まずは学校。子供同士でトラブルが起こると、一斉にママたちに広がり、トラブルを起こした子供が仲間外れになる。子供の安全を守るには、周りのお母さんたちや学校とうまくやらなければいけなかった。でもそれは結果的に、私と娘に多大なプレッシャーをかけることになった。
加熱する教育の裏にあるのは、親による子供の「ポジション取り」だ。子育中の親は、その愛情ゆえに不安を抱えていて視野が狭く、周囲に受け入れられたがっている。不安につけ込んだ教育メディアの情報を鵜呑みにして、要求されることをそのまま子供に強要することは、子供の幸福感と自尊心を奪っていく。私はこの社会的な教育トラップにまんまと引っかかった。
全ては若い頃に、私が誠実に行ってこなかったことを、子供を通してもう一度経験し学んだようなものだった。「他者にこう思われるから」という理由で自分に嘘をついてきたことを、子供に強いてもうまく行くわけがないのだ。
中学に上がった娘は苦手だった勉強を諦めて、前から好きだった美術の道を選んだ。勉強のことをいうと今も耳を塞いでしまうが、自分で自分の道を選び取れた娘を誇りに思う。
「ポジション取り」は爬虫類脳のやることなんだよな。そこで成功してしまうと、それが生き方になってしまう。でも決して、それで幸福が得られるわけではない。
「崖」から飛び降りる時に必要なこと
今は学校にもママ友にも気を使うことはない。全く自分のスタンスで、絵を描いて、心理学を学び、仕事をして、家庭生活に安らぎを得ている。私が幸せだと家族も安心するようで、いろんなことがうまく行き出した。
以前は、こんなにのんびりしていて良いのかと思ったものだが、これが私の幸福なのだと認められるようになった。
女にとって必要なことは、料理でも家事能力でも社交術でもない。「自分を幸せにする力」だ。人生の岐路において、自分の責任で道を選び取ることで、人生の終焉を誇りを持って迎えられる。
でもこれは、社会では認められにくいことだった。女は男よりも活動が制限され、人生で学べることが限られていたので、自立することができなかった。
私を不安にさせていたのは、一体なんだったのだろうか。人生の(女としての)節目で、いつも崖の上から身を投じる思いだった。私を怖がらせていたのは、社会でまかり通っている「一般論」、「世間の目」だ。でも、覚悟を決めて飛んだ後は、案外平気で、人生を再生させることができた。
今も、老後のこと、お金のこと、健康のことなど、いろいろ不安もあるけど、これも覚悟を決めて、エイっと飛び出したら、案外やっていけるんじゃないかと思う。必要なのは動機。一人で奄美大島に渡り、死ぬ直前まで絵を描いていられた日本画家、田中一村のような幸せを、私もつかみたい。
アルフォンス・ミュシャ「夢想」(部分)1898年 リトグラフ
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