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「生」「性」「死」を繋ぐ。

マドンナのMVを見ていた。あまり良いと思わなかったのだけど、気持ちの悪さが妙に気になって何度も見てしまった。
夜の街でカードライバーに声をかけたマドンナが、パーティーをやりだすという設定で、カジノでビキニの女性たちが蛇みたいに踊っているんだけど、時々映像に現れるPOPでグラフィカルな文字とイラストがいい感じでふざけているのと、乱痴気騒ぎの中で、一人白い服を着たマドンナが司祭みたいに気取っていて、古いような新しいような、なんだか変な気持ちだった。

マドンナといえば80年代を一世風靡したポップシンガーだけど、正直、VOGUEの頃の方がカッコ良かった。マドンナの言いたいことは当時とあまり変わらないのかもしれないけど、色々経験したから今は「司祭」になっているという筋書きもありふれていて、やんちゃな若者たちに説教する巷の老女とあまり変わらない。

マドンナも結構な年なんだから、もっと感じるべき世界があはずだ、と思うのは、私自身にも言えることだからかもしれない。このブログでも性についてよく言及しているのだけど、追求すればするほど、炎に溶かされていく蝋燭みたいに命が消費されていく感じだ。

ではなぜ、なぜのこテーマが、古今東西で取り上げられてきたのかと言うと、親世代、そのまた親世代が、延々と悩み続けてきたからだと思う。親世代の問題は私の世代の問題ではないということと、いろんな生き方、価値観の溢れる現代で、性と生を切り離して考えることに無理があることに気づいたら、過去から続いていた鎖がスッと外れたような気がした。



過去から続いていた鎖、それはなんだったのだろうか。
少し話は遡るが、第二次世界大戦の特攻隊を思い出す。政府の命じるまま飛行機ごと敵軍に突っ込んで死んでいった彼らは、10代後半の若い人たちだ。政府からは特攻を「名誉ある死」と教えられていた。しかし実のところ、どう捉えていたのだろうか。

死ぬって、とても痛いことだ。家族や恋人、友達と別れるのも辛いことだ。何か特別な意義を持たなければ、自ら進んでいけない。過酷な状況の中で、生きる意義、死ぬ意義を探し出し昇華させる瞬間、どのような気持ちだったのだろうか。
高校時代のある日、海辺で一人、太陽の神々しい光に体を溶かされていく感覚を思い出す。「己」を投げ出して、別のものに委ねていくときの、温かいような、優しいような、悲しいような、私だったら、そのような気持になるかもしれない、と少し思った。

今は戦争で死ぬ危険がない代わりに「生」は「性」と切り離され、「性」に特別な意義を求めて幻想の中で彷徨っている人たちを見る。平和で退屈な時代になった。生まれてくること自体がすごい挑戦で、死にゆくことは大きな達成なのに、それさえ感じられない現代は、「生」「性」「死」が一本の絆で繋がりにくい。魂が幸福を感じにくくなったのかなと思う。


About TOMOMI SATO〜人生開拓アーティスト佐藤智美 プロフィール

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