今日はホスピスにいる父に会いに行った。パーキンソン病が悪化し家庭での介護が限界になった父は、1月から入院しているのだけど、私はコロナで入院日の手伝いに行けなかったので、ずっと気になっていた。土曜日にホスピスに電話したら、会いに来てもいいということになった。
父に会うのは2〜3年ぶりだ。最後に電話で話したのは昨年の9月で、花籠を贈った時、「なんで花を送ってきたの?」と聞かれ、私は「敬老の日だからよ」と答えた。介護で疲れ切った母が「父はもう喋れない」と喚いていたが、あの時の父はまだしっかりと話すことができた。
取り乱す母の話を聞くたび、私の体は強張った。死へ向かっていく人の現状に向き合うのが怖かった。そういえば昔から、怖がる私に突きつけるように、死際の人の惨状を母から聞かされたものだった。死は恐るべきものなのか。立ち向かうべきものなのか。そんなことを私はずっと考えてきた。
京急線上大岡駅から徒歩5分。3階建ての割と小さなホスピスは、象牙色の壁が温かい印象だった。除菌し体温を測って、3階の父の病室へ行った。
痩せて苦しそうに横たわる父は別人のようだった。私はそれを冷静に受け止めて、「お父さん元気?」と笑顔で話しかけた。喉の筋肉が弱ったのだろうか、父は力ない声で、あううう、と苦しそうに言った。しかし目は真っ直ぐに私を見ていた。何か伝えたいことがあるようだ。私は、じっと父に耳を傾けた。
父は胸の辺りを指して顔を歪めた。胃瘻で胸に管が入っていて気持ち悪いらしい。「家に帰りたい」「水をいっぱい持ってきて」と言っているようだった。私はその都度うなづいたり看護師さんを呼んで処置をしてもらったりした。
しばらく話していると、父は、声を出そうと頑張ったり、なかなか話が伝わらないと呆れるように笑ったり、表情が緩んできた。
私は夫が入院した時のように、スマホで2ショットを撮ったり、家族で見るためのビデオを撮ったりした。SNSに載せた私の作品を見せると、真剣に見つめて、もごもご言った。多分、絵について評論しているんだろう。なぜって、父は昔からそういうことが好きだったから。
規約では15分の面会だったが、そんなこんなで50分ぐらい病室にいてしまった。帰るときにはすっかり昔の父のような面影が戻っていた。「また来るね」というと、「いつでもおいで」と言って、笑顔で手を振った。
会う前の不安が嘘みたいに消えていた。確かに痩せて苦しそうにしていたけど、話すことも、興味を示すものも昔の父と変わっていなかった。ああ、父はまだ元気なんだ。帰り際に笑顔で手を振る父を見て、そう思った。家族と話せたから落ち着いたのかもしれない。
実家にいた時の父はあまり喋らなかった。リビングのソファにいつもでんと座って、小さな物音にも苛立つような人で、気を遣わせる存在だった。でも、本当はこんな風にリラックスして、仕事や創作活動の話をしたかったんだと思う。
それにしても心を開いて話すということが、どれだけ生きるモチベーションに影響するのか。
パーキンソン病が今以上回復することはないという。父は家に帰りたくても帰れない。命はもう、そんなに長くないのかもしれないけど、この笑顔を最後の瞬間まで持ち続けてくれたら、私も家族も快く天国へお送り出せるのになあと思う。
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