幸福も人の命も有限である。

父がホスピスに入院しているので、月一回くらい会いに行っている。昨年は家で母と弟が介護していたのだが、限界が来たので今年の初めからホスピスに移った。

父がかなり弱くなったということは母から電話で聞いていた。介護中の惨状は母の電話の声でも感じていたけれど、実際会ってみた時は流石に私も胸の中心がギュッと地の底に引っ張られるようだった。
父の目が埴輪みたいに小さくなって、手足は骨と皮だけになって、私が知っていた父とは程遠い姿になっていた。悲しみに飲まれる前に、「お父さん、智美だよ」というと、父の目は輝きだし、昔の表情を取り戻していった。

父はアートの話が好きで、私の今までの成果物を見せると興味深く見ては「これ面白いな」「これいいな」と論評する。姿は変わっても、やっぱり昔のお父さんだと安心する。

実家にいた時の父は、リビングのソファに座ったまま喋らない人だった。時々母はイライラして小言を言ったり世話を焼いていたので、家の中はあまり落ち着かなかった。
今父は家族から離れて、病院のベッドに寝たきりだ。「ここはあまりおもしろくないんだ」と言っていたけど、昔と違って無邪気に笑ったり、ジョークを言ったり、アートに好奇心を持って得意げに論評したり、まるで少年のようで、今の方が人間らしい。



結婚してからの私は、実家から自立しようと必死だった。自分で決断し行動して、揺るがない自分の芯を築こうとしていたけれど、私の挑戦や危機の場面で、ぶつかりながらも見守ってくれた父と母の姿がいつもあった。静かにアドバイスする父と、叱咤激励する母。個展をする時も手術をする時も、父と母が一緒に来ることはあまりなかったけど、父も母も、それぞれのやり方で精一杯私を応援してくれていた。

その日々が、もう来ないと思うと悲しい。気軽に甘えていた日々が、今はとても貴重で尊い宝物だ。あの時をもっと感謝を持って過ごせたらどうだっただろう、とも思ったけど、それはそれで、私と家族にとって必要な日々だったのかもしれない。




ここ半年は、父の病気、夫の交通事故など、身内の死に直面するような場面があり、当たり前にあった幸福や人の命が有限であることを実感した。私の人生も折り返し地点を過ぎ、死というものが現実味を帯びてくると、これから何をすべきなのか、必要なこと、もの、人が自然に整理されていく。

時代は今も刻々と動き、コミュニティやビジネスモデルを左右する新しい兆しは、リアルタイムに提示されている。私にとって、生きていくのに一番必要なものは、お金でも健康でもなく、好奇心だ。それがあれば、新しことにも挑戦していけるし、モチベーションも体力も一緒に引き上げられていくと思う。
最後の瞬間を私はどのように迎えるのだろう。死から逆算すると、やるべきことが見えてくる。


About TOMOMI SATO〜人生開拓アーティスト佐藤智美 プロフィール

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