先日は絵を描きながら、「おかだ録」岡田斗司夫さんの痛快なトークをYoutubeで聴いていた。
「夫婦っていうのはね、両方いい人じゃ成り立たないんですよ。お互い譲り合っていると、我慢が溜まって離婚になっちゃう。ちゃんと夫婦を成立させるには、どっちかがいい人、どっちかが悪い人にならないとね。」
あはは、そうだなあ…..。思わず笑ってしまった。
「いい人でない人」には、今までたくさん会ってきた。無遠慮に甘えて要求してくる人。迷惑を被って、あんな風には決してなるまいなんて思っていたけど、相手は「何であんたも自分の感情を出さなんだよー!」と言わんばかりに、ますます主張が激しくなり、キレて関係終了、というのがよくあるパターンだ。
「いい人」の正体
私も夫も「いい人でない人」から損害を被ってきた側だったので、お互い譲り合いを意識していたようなところがあったが、そんな「いい人仮面」は、長い結婚生活の中で見事に粉砕された。
結果として良かったと思う。いい人で居続けていたら、岡田斗司夫さんのいうとおり、本当に離婚になっていたかもしれないから。
「いい人」とは、「防衛している人」だ。マウンティングしたり嫉妬したり、人から奪ったり奪われたりする自分の浅ましさに直面するのを避けているのだ。
いい人ぶって生きていると、「いい人でない人」が必ず寄って来る。「この人ならわかってくれるかも!」と言わんばかりに、次々とわがままを言ってくるのは、愛情に飢えているからだ。
そのようなやりとりも、当人同士が自由なら適当なところで逃げ出すことができるが、子育てや仕事など責任や利害の伴う環境である場合、そうも行かなくなる。
容赦ない要求に耐えかねて「いい人仮面」が破壊されると、内側に押さえ込んでいた感情が放射能みたいに激しく噴き出てくる。
「私を助けて!誰か、この痛みを止めて!!」と一心不乱に叫んで、自分の男に訴えたときに逃げたり否定しようものなら、私はその男を問答無用で殺すだろう。良いか悪いかは別として、これが「女」だと、初めて実感した。
真の繋がりを築くには
最近は、繋がる人を慎重に選ぶようになった。
誠心誠意で築いた絆は困難を乗り越えるためのライフラインとなるが、いい加減な繋がりは破滅を呼ぶ。「いい人」をアピールしてくる人がいたら、私自身を見せても受け止める強度がある人かどうか注意深く見極め、違うと分かったら早めに去るようにしている。これがきるようになって初めてトラブルを回避できるのだと、ようやく気づいた。
そして今まで忌み嫌っていた「いい人でない人」と自分の実像も見えてきた。
危険も顧みず汚い感情も私に見せて近寄ってきてくれた人は、本当は誠実な人だったのだと思う。なぜなら私が相手を信頼したら、やはり同じことをすると思うからだ。嘘がない感情をぶつけて傷ついたとしても、そこから流れる血には温かさがある。「いい人の仮面」を被ったままでは、感じることはできないだろう。
パブロ・ピカソ「泣く女(部分)」1937年
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