心理学の授業で、恋愛感情について議論したときに、先生に「人間関係の問題は他のものでは昇華できない」と言われた。多分私がアーティストであることを知っていたと思うので「幾ら芸術をやったってあなた満たされないよ」と言われたようで、違和感が残った。
人間理解を深めるために学んだ心理学だが、学べば学ぶほど、そんなに人間って単純なもんじゃないよ、と思う。
何にエネルギーを使うのか
子供の頃から私は、絵を描いたり文章を書いたりすることが好で、人間関係には(一部の友人を除いて)淡白だった。でもその淡白さが周囲からは不可解に見えたようで、いつも「変人」扱いだった。
他人に淡白なのは変なのか、と、ずっと思って生きてきたけど、別に変ではなかった。エネルギーの使い方が周囲とは違っていただけだ。人間関係以外にエネルギーを使わない人から見たら、私はさぞ扱いにくい人間だっただろう。
だけど私は、申し訳ないほど、そういう人たちと繋がりたいという気が起きなかった。
私が情熱のない人間かというと、全くそうではない。興味のあることを学んだり、作品を作る時は、時間も忘れて集中する。むしろ、私の持っているエネルギーが大きすぎるので、安易に人に向けられないというのが本音だ。それは心理学的には正解でないのだろうか。だとしたら、心理学って人間に対して無神経だなあと思う。
結局私が導き出した答えは、人間関係であれ、他のことであれ、全力でスパークできない人は、何をやっても不完全燃焼で終わる、ということだ。
情熱を失った人の末路
今春、娘が入学した学校の入学式のスローガン、「SPARK YOUR PASSION(情熱を刺激する)」に、とても感動した。忘れていた大切なものに再会したような気がしたのだ。
ファッションショーのランウェイを歩くモデルの学生たちは、我こそが先端を行く、という心意気にあふれていた。作品は荒削りでもアイデアには彼らの理想や夢が迸り、未来へ突き抜けていくような気がした。若さって素晴らしい…..いつの日だったか、私もそんなことを大人から言われていた。
社会に出て、いろんな壁に打ち当たっていくうちに、仕事ってこんなもんだ、人ってこんなもんだ、と自分を納得させるようになった。人生を諦めたように生きる人たちを理解しようとするのと同時に、そんな人たちの怠惰と不誠実を嫌悪した。
学生時代に大人社会の矛盾を歌って批判を浴びたロックシンガー尾崎豊が、何度も頭に浮かんだ。ピュアであることは残酷だ。彼が守りたかったものには今も共感できるし、そのために彼が払った代償を思うと、アーティストとしての彼の偉大さに敬服する。尾崎は間違っていたのか、正しかったのか、そんなことよりも、尾崎が伝えたことは真実だと思う。なぜなら、尾崎の歌は現代にも受け継がれ、人は若かりし頃の純粋と情熱を懐かしんでいるからだ。
情熱の行き場がなくなると、不安が襲ってくる。失速した自転車がバランスを崩すように、どう生きていいか分からなくなる。溜まったエネルギーが体内で腐ると、健康を損ない、人間関係も上手くいかなくなり、人生が欺瞞に満ちてくる。
人生を更新させる
大切なのは「エネルギーを腐らせない」ことだ。
大人になっても、情熱を注ぐものを持ち、真っ直ぐに生きることは、何も恥ずべきことではない。むしろそれがないと、社会の檻の中から自分の未来を見出すことができない。
私たちのエネルギー量は決まっていて、それを複数同時に注ぐことはできない。エネルギーを注入するものを選び、うまく流れるよう生活をカスタマイズし燃焼させることで、日々は更新されていく。
私は人間関係よりも制作の方がエネルギーの通りがいいので、不要な人間関係は持たず、自分のアンテナが捉えたものを発信することに集中するようにしている。その方が効率がいいし、何よりも、掛け替えのない「私」を生きていると実感できるからだ。
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