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「守破離」の歴史。

20年くらい前、ライティングスクールの最初の講義で「守破離」の話を聞いた。

:まずは師匠から教わった型を徹底的に「守る」。
:それらと自分とを照らし合わせて研究し、より良いと思われる型を模索し試すことで既存の型を「破る」。
:かつて教わった師匠の型と自分自身の型の双方に精通しその上に立脚した個人は、既存の型に囚われることなく、型から「離れ」て自在となる。


守破離(しゅはり)は、日本の武道・芸術における修業の過程を表したものだ。なんで執筆の授業でこんなことを教わるのかなあ、と思ったが、ものを教わるすべてのことに共通する姿勢なのだ。

基本は、授業で習ったことをおさらいし練習することで、身についていく。でも、それが自分にとってどのようなもので、他人にどう受け取られるかは、発表してフィードバックをもらわないと分からない。表現者と鑑賞者の誠実さと熱意があってこそ作品は真っ直ぐ育っていける。

先人の遺した愛と痛み

芸術だけでなく、人類の歴史は、守破離を繰り返して発展しているのだと思う。
先人の遺した愛と痛みを理解して、過去から承認され、新しい未来を作る。そうして過去と未来は一本と絆でつながっている。

若い時、芸術賞への応募に熱中したのは、承認を得たかったからだ。でも美術の歴史を無視して承認を得ようとしても無理だったなあ。だって先人の遺したものを受け取ろうとしていなかったのだから。

画家が精魂込めて作った作品を「需要がなければゴミだ」と言い切る人がいる。確かに、物質世界にどっぷり浸かっているとそう感じるかもしれないけど、物質から離れた人間性を大切にしない人は、芸術の真意なんて知る由もないだろう。

価値を理解して共存する

あらゆるものには、作った人の想いが込められている。それを理解できるかどうかは、個人の価値観によるのかもしれない。
他の価値観を理解するとは、自分が生きてきた過去と現在のルートから離れ、別のルートから物事を見ることだ。

四六時中文学書を読んで暮らしてきた人が、ロサンゼルスのカジノの魅力を知ることだったり、家族と共に田舎の山で育った人が、東京の高層マンションで独身生活を送ることでもある。

結婚してから、よく実家の両親が、地方の名店から取り寄せたそばや乾物を送ってくれた。私はそれをあまり食べなかったので、無駄なお金を使わせるのも悪いと思い、断ってしまった。
今私はビジネスの勉強をしていて、物の価値について考えるようになった。当時、両親が私に送ってくれたものが、どれだけ価値のあるものかわかっていたら「送らなくていい」なんて言わなかったし、もらったら何をすればいかもわかっただろう。もう遅いけど。

価値は、学ぼうとしないと理解できない。
その人の価値を理解することは共存に繋がり、無理解は別離につながる。

人は本当は理解し合いたいのだけど、伝えることが難しくて理解を諦めてしまう人もいるし、手に入らないから否定してしまう人もいる。
知ろうとすることから全てが始まる。価値を知ってもらうために、伝える努力は必要なのだ。


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