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「看取る」という慣習

父が緩和治療に入ったらしい。危篤と回復の繰り返しで疲れた母から電話があり、ため息混じりの話を聞いていた。

夕飯時になり台所で作業していたら、娘が横に立っていた。豚肉を湯煎で通しながら、今起きている状況を話して、「ママが死ぬ時も看取ってね」と言ってみたら、娘はギュッと目をつぶって「今はそんなこと考えたくない」と言った。おどけているようにも、拒否しているようにも見えたが、上手い交し方だと思った。
私も中学生くらいの頃から母親に「死ぬときは看取ってね」言われ続け、ずっと呪縛に感じていた。




親が子を産み育て、子が親の面倒を見て、死を看取る。そんな命の連鎖は「家制度」として、ずっと続いてきた。印象深い恋愛も仕事も、そういった生命活動の一環でしかないと考えると、人間の人生って、なんてシンプルなんだろう、と思う。

「人生をありきたりで終わらせたくない」という思いは、ずっと聞かされ続けてきた母親の「老後の面倒を見て、看取って」の呪縛から、解放されたかったからではないか。

この声を、次世代にも聞かせることに抵抗がある。私が苦しんできた呪縛を、子供にも受け継がせたくない。「最後を看取る」というのは、「親に頼まれたから」ではなく、「親に愛してもらったから」であって欲しい。綺麗事だろうか。

これだけ冥土の力や人間の本性に恐れ慄いても、性懲りもなく私は夢を見ている。


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