以前、心理カウンセラーは人間の事を何でも解ると思って、セックスやジェンダーの話をガンガンしたら、カウンセラーを不快にさせてしまい、相談を中止したことが何度かある。
セックスとジェンダーの問題を解かないと真の充足は得られないと思うんだけどな。
そもそも「安全な場所」としてカウンセリングルームとか自助会が存在しているのに、そこに向き合ったらダメだなんて、やっていること矛盾していないですか?
特にアダルトチルドレンの自助会のような「どんな自分もお互い認めあいましょう」という場所では、結局「皆が不快になることを言うのはやめましょう」ということになるので、本当の自己理解の場にはならないよね。
その話題で気まずい空気になってしまうってことは、カウンセラー自身も問題を克服していなし、問題から目を逸らしていると言っていいんじゃないかな。
人間=セックス=魂
思考、論理、宗教ではごまかせない。
深淵の奥にいる暴力を認めることは、一言で語れない、ストーリーで表せない、バラバラになった自分のピースを寄せ集めて、一つの場所に置くこと。
人は安易に歓びと暴力が結びつくことを認めた上で、一歩離れて、幸せでない相手と自分を幸せにしていくために、愛する技術を磨いていく事だ。
著作者:Freepik
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