裸で向き合う画家とモデル。

インスタで、自ら裸になって裸婦を描いている男性画家のモノクロ写真に目が留まった。彼はアーティスティックに撮影した自身のヌード写真も多数投稿していたので、モデルか俳優のアカウントかと思った。

モノクロ写真の彼は優雅で、生命感というより自己陶酔感を感じる。ナルシストだな、と思いながらプロフィールを見ていたら、「ナルシス」という題名の絵があった。きれいに整えられた金髪に孔雀柄の黒服、水仙の花を咥えた美青年は細面でどこか儚げだ。
彼の作品群は全体的にモノクロームで、老紳士の背後の若い女、川辺に佇む女二人、などがあった。写実的に描かれた女は美しいが、物憂げな感じがした。

絵筆はモデルの生命力とか情感というより肉感を追っているように見える。画家自身も描きながら恍惚としているのではないか。

直感的に、この人のモデルにはなりたくないと思った。こういう男にとって女は捕食対象でしかなというのは偏見だろうか。同時に、数日前の他のアカウントで見た「この世に生きるものは弱肉強食が宿命であり、他者の死を摘んで生きることを常としている」の一文を思い出した。
男にとって女は獲物なのか。では女にとって男は何だろう。女だって生きるために男から魂を吸い取っているのではないか。
それが無自覚であっても、結局罪人だな、と思ったら、内側で何かが砕ける気がした。

「アダムとイヴ」は、神に背いて、りんごを食べ、楽園から追放された男女だ。これを罪だと思わず快楽でやれる人は、深く人と繋がることを知らないからか、あるいは、深く繋がっていると信じているのか。でも、そういうことを容易くやれる人の傲慢さに、ある種の逞しさを感じる。


快楽は一瞬だと私は思っている。人生は常に交差点で、魅力的な人と出会っても、進む道が違えば別れが来る。私を大切にしてくれなくなった人からは、潔く離れる。そんなものだから、出会いの瞬間、快楽の瞬間を貴重なものと捉えていて、人間関係は流動的だ。そして本当に縁のある人とだけ、繋がっていく。

人生の終わりが見えるようになって、もっと価値のあることをしたいと思うのは、生まれながらに私たちが持っている生殖欲求のせいだ。衰え始めた体を再生させようとして、僧侶の説法などを聴いていると、肝心の生殖からどんどん遠ざかり、天へ近づいていくような気がする。
結局、人と人を結びつけ、物事を推し進めるのは、神に背いたアダムとイブのような、体の奥底から湧き出る力以外の何ものでもないのではないか。そうやって人は自分の持っていないものを他人から搾取して生きている。確かにこれは、揺るぎようもない真実なのだ。

ラファエロ・サンツィオ《アダムとイヴ》1509-11年

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