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「自己満足」の先にあるもの。

先日SNSで、とある作家さんが販売した作品が目に止まった。正直、その作家さんの作品は今まであまり気にしていなかったのだけど、今日その作品を見た時、売れた理由が理解できた。多分、私とは違う心境や意図を持って制作していると思うのだけど、その作品にはお金になる価値があると思った。

大学時代にとても好きだった歌手がアルバムを発表するということで、ロングインタビューがネットに掲載されていた。とても長いインタビューだったのだが、憧れの人だったので興味深く読んだ。怒涛のようなトラブルと奮闘の歴史で、その楽曲が生まれた由縁が理解できたけど、正直、読了後は胸が詰まるような息苦しさが残った。

今私はその歌手のアルバムを聴きたいと思わない。実力もあり、質の高い作品だと思うけど、聴いた後は、あまり良い気持ちにならないと思ったから。そしてその歌手を好きだった頃は、私も奮闘の日々を送っていて、内在する怒りを音楽で昇華していたことを懐かしく思った。

芸術家たるもの、魂から絞り出さないと作品は生み出せない、と無意識に思っていた。でも魂がどこにあるのか、絞り出したものがなんなのか、少し疑問を持って見つめる必要がある気がした。
アーティストのインタビューで「時代」とか「受け手の心境」というキーワードが頻繁に出てくるけど、そういったものを本当に捉えていたら、簡単に言語化できないんじゃないかなあ。心でなく頭で考えて作っているところに、時代とアーティストとの距離を感じた。


「自己満足」という言葉をよく聞く。でも自分の中のものを昇華しているうちは、それがどういう意味なのか、わからないかもしれない。自分と社会がつながるために、自己満足も成長過程だと思うけど、そうやって生み出された作品は一時の共感が過ぎ去ったあと、急に陳腐になる。

私は作り手だから、過去作を見て当時の思い入れに懐かしさを感じるけど、どうでもいい人にはどうでもいいことだ。残酷だが、人の心は普遍ではないのだ。
魂のコアなところに迫れば迫るほど、作品の評価は両極端になるのは宿命だけど、それをよしとしたアウトローな生き方に固執するのも陳腐だ。
もっとしなやかに、スマートになってもいいんじゃないかなあ。単純なことだが、作り手が幸せなら、幸せを届けることができるし、そうでなければ、それが伝わる。

人は普通に息をしているだけで命を欲望で燃焼し死に向かっていく。その現実を直視して嫌悪したり恐れ慄いているよりは、できるだけ夢を見て、私も世界もポジティブでハッピーでありたい。そう願うことが、生きること、作ることの原動力になると、少なくとも私は思っている。

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