「寂しさ」は遺伝する。

少女時代に母にされたこと、言われたことが時々フラッシュバックして怖くなったり憂鬱になることがある。女の子らしい格好をすると嫌な顔されたり、いやらしいと言われたり、恋愛めいたことになるとひどく心配された。私が自分のために買う服を貶され、代わりに母が服を買ってくるのだけど、私は気に入らなくて着なかった。当時の閉塞感と孤独感を思い出すと身が縮こまる。

母は前々から結婚を後悔していたみたいで、自由がなく退屈だとよく言っていた。誰かの世話を焼いたり、ちょっかいを出すことが「人と関わること」と思っているようだった。そんな母に育てられたから、私もそのようなことを愛だと思っていて、若い時は自分を受け入れずに他人に期待ばかりしていたから、満たされることがなかった。

幼稚園くらいの頃だったかな、母方の祖母の家に遊びにいって、夜は布団の中で昔話(寓話)を聞いた。人の愛憎に関わる話が多くて、因果応報についてよく聞かされた。幼児の私には未知の感情だったが、興味深く聞き入っていた。
振り返ってみると、祖母もまた、人の愛憎に揉まれて生きた人だったのかなと思う。

母や祖母があんなに恋愛を忌み嫌っていたのは、人生を左右しかねない制御不能の性欲を恐れていたのだと思う。その恐れはしっかり私にも受け継がれ、内観するのに数十年かかった。
そもそも内観して正体を掴まなくては怖くてしょうがないということ自体、私は尋常ではなかったのかなと思う。欲望はあって当たり前で、それがあるから生を愉しみ、未来を創造することができるのに。

父と祖父の関係も良くなかったと葬式の時に叔母から聞かされた。なんとなく知っていたけど、「寂しい」という感情は遺伝するのだなと思った。
なぜ寂しいのか。自分を生かすことを知らないから。なぜ知らないかというと、先代の親の「寂しい」という感情によって、自分を生かす力を奪われてしまったから。
喜怒哀楽、欲望も含めた生の自分を表現できなくては、真の意味で人と触れ合うことはできない。だから誰かと居ても常に寂しいのだ。

自分を生かすことができない人は、それができている人に対し、脅威を覚える。何か自分を食われてしまいそうな。どうしてそう思うのか長いこと不思議だった。

長いこと堰き止められていた大波が堤防の決壊によって突然溢れ出るかのように、私たちが抑圧していたものは、いつ噴出するかわからない。それくらい溜まった鬱憤が恐ろしい。あの閉塞的な昭和時代を生きた日本人の誰もが、そのような感覚を持っているのではと思う。

残念なことに私は、同じような寂しさを持っている人に敏感で、欠けた部分を埋め合わせる関係に絆を感じてしまう癖がある。でも日常で心惹かれるものはたくさんあって、私とは異質なものに興味を持ったり勇気や元気をもらったりする。浮かんでは消えるシャボン玉のように儚い感情だったとしても、体験の積み重ねでゆっくりと人生が動いていく。

私はかけがえのない「生」を生きている。うまくいかないことがあって落ち込んでも、勇気を持ってもう一歩踏み出せば、古い殻が抜け落ちて新しい日常と一緒に新しい自分になっている。未知へ一歩踏み出す力の正体は、かつての女たちが持っていた、男に身を委ねる力と同等のもので、それは決して恐れ忌み嫌うべきものではなく、刺激と冒険の人生へと導いてくれる、頼もしい力なのだ。

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言葉とアートで人生をブレイクスルーするフリーランス画家 佐藤智美

いろいろなものの影響を受けて
合理的に変わっていく生活の節々で、太古から引き継がれてきた私たちの感情が
、社会の波動を受けて揺れた瞬間を切り取って書いています。

生まれては死んでいく運命を持った
人間である限り、変わらないであろう幸せのヒントがそこにあると思うからです。


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