羽生結弦があれだけストイックに生きて、何を目指していたかっていうと、勝敗そのものではなく、独自の美の世界に行きたかったのだと思う。それがどういうものかは、羽生結弦でないから、わからないけど。
高みに挑戦し続ける人って、特定の目標があるわけではない。誰かを対象にしているわけでもないし、ただ、自分の中に激しく回るエネルギーの落とし場所が欲しいのだと思う。なぜってそれは、私もそうだから。
私の場合は、高みにのぼるというより深く受容されたいという底無しの欲求がある。多分それは人間では解消できないことも分かっているから、それを超えた、もっと広い、大きな、柔らかいものに、自分自身がなろうとしている。
羽生の目指している世界は、凡人の私にはわからないけど、彼の周りにいる人は多分、彼と同じような魂を持っている。アイススケートの競技で美を目指す人たちには、共通の精神が宿っていると思う。
私は物心ついた頃から美術をやってきたけど、自分と縁がある人が皆芸術家だったかというと、そうでもない。美術をやっていようとなかろうと、スピリチュアルな視点を持っている人が多かった。
私にとって芸術は、それ自体が目標ではなく、芸術活動を通じて精神的な奉仕活動をしたいのだと思う。
現世で生きていると、誰かに認められないと、とてつもなく孤独を感じることもあるけど、みんなから認められたって、そこから進めない孤独もある。人が霊的に目覚めたら、その存在は人の尺度では測れなくなるのだ。
そうなったら、それでいいじゃん。何が起きてもOKだ。でも、何でも受け入れる、ということではなく、その人はその人で認めて、私は私で違う道を行くということが、自然にできるようになることだと思う。
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