生前の父はあまり実家のことは語らなかったけど、父と祖父は仲が良くなかったらしい。叔母の話によると父と祖父は、趣味も思考もよく似ていたという。
少女時代、あまり親戚の集まりに連れて行ってもらえなかったので、父が実家を好きでないことは薄々感じていた。
祖父は「家庭を大切にする」ということを常に意識して生きた人だったという。
昨年末に自身の家族と共に父方の親戚の集まりに出席した時、祖父の哲学、というか宗教的なものの中に親戚一同がいるという感じがし、父がなぜ実家に近寄らなかったのか少し理解できた気がした。
でも結局、父は祖父と同じ墓に入った。幼い頃に植え付けられた価値観、人生観から飛び立つことに父は生涯をかけて挑戦していたのではないか。でも最後には、自分を育ててくれた祖父の懐に戻ったんだな、と思う。
他の家がどうかわからないが、私の実家は、誰かを愛する感情、慕う感情というのは、表現しづらい雰囲気があった。好きな子ができて悩んだりすると、家族に揶揄われたり笑い飛ばされたり、成績低下を心配されたりするので、常に制御を強いられているような感じはあった。
どうして感情的なものを避けていたのか。それは「家庭の安定」を脅かす可能性があったからだと思う。いろいろな感情が流通するから愛が育まれ、真の繋がりで家庭が安定するのだということを知ったのは、だいぶ大人になってからだった。
父が死ぬ時は、実家に飛んでいって父の話を聞いて、できる限りしてあげたいと思ったけど、今までの経験から誰かに阻止されて感情が行き場をなくしてしまったら、と思うと素直になれなかった。父の死顔を見た時は、今までの感情がどっと溢れてきた。でも葬儀場で泣いているのは私だけだった。
大きくなった感情を理性で制御しようとすると、石のように固まって心に居座ってしまう。感情は流動させるべきだと思う。心を開いて、お互いの思いを通わせ合ることなしに絆は育んでいけない。でもそれは、経験を積んできた大人たちにとっては、封じていた感情の蓋を開けていくことになるので、大変な作業ではあるけれど。
芸能人の不倫がニュースで取り上げられるようになってからは、メディアで「愛とは何か」をよく論争されるようになった。時代の進化により、私たちが社会生活の中でモデルとされてきた愛の流通では不自由になってきたからだろう。
愛は霊性を持ったエネルギーだと思う。私たちが生きている間にそれは成長し続け、いずれは社会規範の中では治らなくなる。恋愛をしたり、学問や芸術、社会活動に熱中したりして、古くなったスタイルを脱ぎ捨てる時期が来る。それは人生のステージアップのために必要なことなのだ。
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