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サバイバルに必要なこと。

弘前れんが倉庫美術館で行われた松山智一さんと学生たちのトークセッションをYoutubeで聴いていた。松山さんの個展を鑑賞した学生が抱いた疑問に、松山さんが自身の経験を踏まえて応答するというものだ。
アメリカでは様々な人種や価値観が混在し、白人が実権を握る権威社会で、マイノリティである日本人がどのようにして自分の存在を表明していくかということに奮闘を重ねてきたという。
アメリカは多人種社会なので、いろんな価値観を受け入れないと共存していけないという現実から、違いに関して寛容な土壌があるのだろう。そして誰もが自分の権利を守るために主張し戦う力が必要だという。

私は今こうして日本でブログを書き、デジタルアートを作っている。一日中部屋にこもっていても生活ができている(買い物や用事でちょっと外に出るくらいはできても)。私みたいな人がたくさんいる日本もまた、互いの違いを許容し共存している社会なのではないだろうか。表面上は。でも不完全燃焼感がある。

オンラインで共感や批判などは盛んに行われているが、オフラインで人同士が熱くぶつかり合うということはあまり聞かない。だから昭和の大乱闘などの映像をテレビで見ると、笑っちゃうような懐かしさを覚える。
あの時は恋愛でも仕事でも、全身全力だったな。人生で起きた経験は良くも悪くも体の奥まで染み込んだ。

オンラインの大部分は妄想だと思う。批判を書き込む人のすべてに悪意があるわけではないし、テキストで心地よい会話をしてみても、必ずしも友達になれているわけではない。私たちは相手の顔ではなく液晶画面に向き合っているので、感情を投影しやすく、共感や誤解から情報は簡単に広がってしまう。言ってしまえば炎上とか拡散って、そういう無責任な人の言動に流されているだけなのだ。

実際に会って話さないとその人の持つ空気や体温はわからない。それでも決済が無事成立すれば仕事ができてしまうけど、今後も何かをともに成し遂げようとする信頼関係にまでは至らない。人間は古今東西にかかわらず、血肉を持った生き物だからね。

私は今落ち着いて安定した生活を送れているけど、時々このような小さな世界に収まっていていいのかと思う。
私の街にはインド人が多く、彼らが家族で道に広がって歩いているのを見ると、「右側通行の概念はないのか」とイライラすることがある。でもインドでは道が広く、山羊や牛も一緒に歩いているというから、その感覚で日本を歩いているのかもしれない。
もっと多人種のいるアメリカでは、このような違和感を持つことは日常茶飯事なのだろう。

世界がグローバルになればなるほど、他文化を理解し共同で何かを作り上げなくてはならない場面は増えると思う。相手を知り受け入れる努力を恐れていたら、どんどん孤立していくのではないか。

私自身外交的ではないので、自らコミュニティに参加して友達を作るということはあまりやらないけれど、自分の中のものをできるだけ表に出していくことで誰かに伝わり絆ができるという体験はしている。だから表現に対して誠実で、ポジティブでありたいし、自分の軸から外れたことはしたくない。そういった魂の活動を続けていくことで、人や世界を許容できるようになれたらいいなあ思う。

日常で感じる小さな疼きが現状を変える原動力となり、サバイバル力につながっていく。理屈通りでなくても、自身が感じたことは、自身にとって正しいことだと信じている。そして最も心地よい居場所を作るために、外へ向かって行動していかなくてはならない。

著作者:Freepik

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