ある大学でこんな授業があった。
教授は大きな壺を教壇に置き、岩を一つ一つ、縁まで入れると、生徒たちに聞いた。
「この壺は満杯か」
生徒は言った。「いいえ」
教授は教壇の下から砂利の入ったバケツを取り出し、壺に流し込み、岩と岩の間に砂利を埋めていく。そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か」
生徒は答えられない、そのうちの一人が、多分違う、と言った。
教授は「そうだ」といい、今度は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと水を注いた。そして最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか?」
一人の学生がいった。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、努力次第でいつでも予定を詰め込むことが可能だということです」
それは違う、と教授はいった。
「この例が私たちに示してくれる真実は、大きな岩を先に入れない限り、それが入る余地は、その後二度と来ないということなんだ。君たちの人生にとって「大きな岩」とはなんだろう….仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり、自分の夢であったり、ここでいう「大きな岩」とは、君たちにとって一番大切なものだ。それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと君は永遠にそれを失うことになる。もし君が小さな砂利や砂、つまり自分にとって重要性の低いものから壺を満たしていけば、君たちの人生は重要でない「何か」に満たされることになるだろう。そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果、それ自体を失うだろう。」
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人生の優先順位についてわかりやすい話なので引用したが、ネットにはよく出ているようだ。
若いうちは最も大切なものに気づきにくい。しかし不思議なもので、外的にどのような道を歩まされることになったとしても、潜在的に自分の大切なものは手放さずに生きていくもだと思う。
私は画学生だったが、美術展にも絵画技法にもあまり興味がなかった。書店で買うのは精神世界や生き方に関する本、好きだったミュージシャンは尾崎豊だった。
美術に関しては技法よりもアーティストの生き方に興味があった。美しい色彩や人目を引く構図よりも、どのような人生からどのような作品が生まれるのか。それを知ることで、芸術と人との間に接点を見出していた。
私は「人の心」を重視する。今もそれは変わらない。
最も感じやすく、変わりやすく、特定の時と場合によっては、物凄い力でスパークし、物事を変革することもできる、人の心。
これは私の作品のみならず、人生の帰路でインスパイアされてきたように思う。
美術作品を見る時は、作家の人間性や生き方を見る。それが自分とどのように関係できるかを探る。
私が気に入った作品は、その時の私に必要なものを与えてくれた作品だ。斬新だとか、色彩が美しいとか、飾りやすいとか売れ筋だからとか、そんなことで作品を購入できない。だから他の職業作家のように、売れ筋のスタイルを決めて量産するということができないのだ。
そんな私が美術家で生きていけるのかと思う時もあるけど、現代を生きる視点は、人の数だけあっていいし、人生の節目節目で、違う視点にインスパイアされ自分自身を進化させていけるのならいいかなと思う。
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