少女の頃、顔も可愛くて、才能もあり人気者だった友達がいて、その子が私の前で自慢話をするたびに嫌な気持ちになっていた。彼女みたいに元気な人気者になれない自分が悔しくて仕方がなかった。でも彼女が好きだったので、その気持ちをうまく表現できなかった。
嫉妬に苦しんでいたら、周りの大人に蔑まれ、咎められた。「〇〇ちゃんを認めなさい」と言われたけど、そう簡単にはできなかった。ただ、嫉妬が醜い行為であること、迷惑をかけることはわかったので、なるべく嫉妬しないように彼女に心を閉ざしていった。
誰かを好きになったり憧れたりする心は、嫉妬と表裏一体だ。だから嫉妬しないようにすることは、愛さないようにすることに等しい。そうやって感情を押さえつけていたら、心は石のように固まっていく。
嫉妬される側も、思いやりを持って接してくれる人もいれば、他人からの嫉妬を自尊心の糧にして傲慢に振る舞ったり、ますます嫉妬させて相手の気持ちを試す人もいる。そういう人はそういう人で、隠れた意図を持っている。おそらく自分に自信が持てないので、もっと注目され、愛されている実感が欲しいのだろう。
でもこれは相手への理解や思いやりではなく、コントロールの意図であると言わなくてはならない。
大人になってからも、SNSや仕事のシーンで、自分に無いものを持っている人に嫉妬を感じることはある。相手に持つ感情は、私自身への気づきだ。その感情が良いか悪いかは別として、嫉妬している対象は、自分が今身につける必要があるものと認識し、不快な場所からは速やかに離れるようにしている。
比較的近い関係の場合は、そのように遠慮し続けるのはよくない。嫌な感情を表現するのは難しいかもしれないが、素直に伝えるように努め、できるだけリラックスした生活を心がけることだ。沸き起こる感情に善し悪しをつけることなく、私自身に最も良い選択ができるようフレキシブルな姿勢でいたいと思っている。
絵:エドヴァルド・ムンク 「別離」1896
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