20年前に小説学校に行っていたときに描いた作品を読んだ。かなりグロい話だったがなかなかうまかった。私って才能あるな(自画自賛)。先生の評価もAだったが、最後にこんなコメントがあった。
「佐藤さんしか書けない作品を描いてください」
それから妊娠、出産を経て、デジタルアートの制作を始め、自分しか描けない作品を探求してきたが、まだこのハードルを超えられていない。
この作品は小説学校で最後の作品だった。それまで3年くらい学校で勉強して、自分の思いを形にすることに奮闘していた。良い作品を描こうと懸命だったし、先生も刺さるコメントを書いてくださっていた。
ありがたいなあと思う。
まだまだ未熟だったけど、私が何を思って書いているかをわかろうとしてくれていたから。
そして20年の時を経て読み返してみると、改めて私の見ていた世界を感じ取った。苦しかったんだなあ。だから出口を探すように書いていた。
小説学校で描いたいくつかの作品のタイトルを見てみたが、魅力的ではなかった。当時はモチベーションのために新人賞なんかを目指していたが、これでは無理だ(笑)まず興味を引かない。面白そうって思わない。思いを吐き出したい自分のことしか見えていなかったから。
視線が内側に向いていて、わかってもらえないかもしれない、と思っているうちはダメなのだ。
わかってもらえなければ、わかってくれるまで書くがいい。あるいは、わかってくれる人を全力で探すことだ。まず知らなければいけないことは、引きこもりは衰退の始まりだということだ。
こっち側から、ちゃんと世界を見て、相手に共感してほしい、という欲望を恥じていては、良い作品は描けない。社会に対して、何かを差し出す、面白がらせるという意欲が少ないと、相手を退屈にする。これは作品だけでなく、人間関係や仕事でもそうなんだけど。
創造的な仕事は本来、人を幸せにするはずなのに、人を不幸にしてしまっては本末転倒だ。
自己内省している時というのはそうなりがちだが、却ってエゴを強くする。傷つきたくないとか、悪く見られたくないという思いは本当の創造性から遠ざかってしまう。
大切なのは、どんなにちっぽけで愚かな自分でも自信を持つこと。人間なんて良いところも悪いところもあって普通。そんな等身大の自分で、ちゃんと行動して感じること。それから、本気に好きだと思うものには、見栄や嫉妬やあらゆる思い込みを捨てて全力でぶつかること。これが完璧にできた時、良い作品が描ける。
本気に好きだと思うこと、人に出会うということが最も大切なことだ。だからその瞬間まで、心素直にして、世界を感じていこう。
「言葉とアートで人生をブレイクスルーするフリーランス画家 佐藤智美」メルマガ登録はこちら
【TOMOMI SATOS ART WORKS】https://www.ts-artworks.com
【TOMOMI SATOS ART】https://artworks2017.thebase.in
【TOMOMI SATOS ART BLOG】https://tomomiart.tokyo