家でずっと制作活動をしていると、誰かの意見をもらいたくなるので、時々、夫にそれをお願いする。
夫はクリエイティブ業界の人だが、アートにはそれほど詳しくはない。的外れな返答が返ってくると私は怒ってしまう。もっと分かってよ、という気になってしまうから。
そうなると夫も傷つくらしく「もう俺に意見を求めるなよ」と臍を曲げ、しばらく絵の話(or創作の愚痴)は聞いてもらえない。
私はしばらく喉元から胸の辺りまで糞詰まりみたいに苦しくなって、夫の事情、言い分を理解しようと努めた後、また前みたいに、自分の作品を持っていく。それからは、「この絵どう?」「いいんじゃない?」みたいな軽やかなラリーで済ませるようになった。
しかしながら、本当の私は人のことで色々気に病むタイプだ。
小さな心配ごとにも付き合ってくれると安心する。あまり付き合いすぎると苦しくなるので、程々で線引きしているが、自分の気質はなかなか変えられない。
摩擦が起きても、わかってもらいたいので、モヤモヤしている時は、我慢せずになるべく相手に気持ちを打ち明けるようにした。感情をぶちまけない限りは相手もちゃんと話を聞いてくれる。喉元に詰まっていた苦しさも、小出しにして受けれてもらうと、楽になる。勇気は多少要るが、そうやって信頼は築かれていく。
私の中で「愚痴は言ってはいけない」という掟がある。愚痴を聞きすぎると、相手のネガティブをもらってしまう方なので、聞きすぎないようにしているし、言わないようにしている。しかしながら、もともと敏感気質なので、全く愚痴を言わず、周りのことなど全く気にしないというマイペース人間にはなれない。
長く一緒にいるパートナーでも、いつもコンディションがあっているわけではない。それぞれの課題に取り組み、別々の日常を奮闘しているから、どうしても擦り合わない部分ができる。
「愚痴は言ってはいけない」と「愚痴は聞きたくない」を双方が持っていると、一層隔たりは厚くなる。でもそういうことはあるよね。そういう時期は、自分を成長させる時なのだから、ある意味仕方がないのだ。
そんな時はちょうどコンディションがあっている人に助けて貰えばいい。実際私だってそんな感じで、いろんな人に助けてもらったから、ここまで生きてこられた。
人の心が複雑なように、人間関係も単純ではない。パズルのピースみたいに完全合致する人間関係とは、心理学用語で言えば「共依存」というものだろう。相手なしでは生きられない、となると、人として自由に経験を積み、魂を成長させていくことは難しくなる。ちょうど「人間」という言葉どおり、人と人とのあいだには、少しばかりの「間」があってちょうど良いのだ。
日常という時間の流れの中、人の心は浮いたり沈んだりしている。表でYESと言っていても裏ではNOを呟いていることもある(その逆もある)。押したり、引いたり、頃合いを見ながらくっついたり離れたりしながら、皆それぞれ成長している。
明快なYESとNOでスパスパ捌いていける人、また、いつでもYESなんていう人は多分、人と本当に「係る」ということをしない人だろう。
私は「思いやり」で人と繋がる。いろいろ気にしやすい気質だから、相手が悩んでいたり、悲しんでいる時には敏感だ。とにかく相手を感じる。困っている時は気遣い、頑張っている時は励まし、こちらの気持ちも受けとってもらう。私と同じように思いやりのラリーができる人とは長く関係を築いていける。
ただ、私とは違うやり方で、コミュニケーションを取ろうとする人たちから、もっと学びたいとは思うのだけど。
完全合致する関係だったら、成長していけないのではないか。どこかではみ出すから、別のだれかと繋がって世界を広げていける。助けあって成長していける。そういうことを皆が肯定できる社会になっていければいいなあと思う。
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