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本当の純粋性は、変化変容に抗わない。

最近やたら発汗する。もう秋口になり、暑くないはずなのだが、ご飯食べた後とか、何かしている時も、体に熱がこもっている感じだ。
以前先輩から、「更年期症状よ」という話を聞いたことがあるが、多分それだろう。

よく考えてみると、緊張しているときに汗をかくことに気づいた。自分の行く末など、あーでもない、こーでもない、と考えているときに、体に熱がこもっている。しかしその熱を、放出しあぐねているみたいな。
仕事やら人間関係やら、あちこちから誘いが来ているのに、安易にエネルギーを使いたくない。このブロックはどこから来るのか、という問いに、「自己否定」というキーワードが浮かぶ。


占星術のホロスコープ上では、50歳前後でキロンリターン、60歳前後でサターンリターンが来る。キロンリターンで「傷」の癒しからの解放、サターンリターンでは「制限」からの解放。

50歳前後の頃、私は一人でマイアミに行った。それから心理学を学び始めたのは、原因不明の動悸の正体を知りたかったからだ。
私の中に封じ込められていたのは、若いときに母から押さえつけられた、夢見る、恋する、甘えるという自由な少女心だった。マイアミヘ行ったとき、私の中で少しそれが目覚めた。
しかし、まだそれを、思うように表現できない。
立場とか社会の目とか、将来のことなど、気にしてもしょうがないことはわかっている。この制限が、サターンリーターン前後3年ぐらいで取っ払われるといいのだが。



本当に自由になることを考えると緊張する。
本当の自由とは、保護も安全も無くなることだ。それで失うものをイメージできても、得られるものを明確にイメージできないからだろう。

自由な少女心はいろんなものに化ける。恋愛に限らず、目が覚めるような鮮やかな芸術や、心の境界が吹っ飛ぶような余暇、価値観を変えるような旅、全身生まれ変わるような美容体験など。エネルギーというものは私の中で常に回っている。



今朝は家の床に掃除機をかけた。
これまでの人生のメインといえば芸術活動だったけど、生活しているといろんなものが増える。人間がいかにシンプルでないことを立証しているようだ。そして、シンプルな人生でないことがいかに豊かさを育てかということも。

実際、子供の頃に制限された少女心も、生活にいろいろなものを加えることによって、少しずつ解放することができた。


親のしつけは何を守るため?
そこで「純粋性」というキーワードが浮かぶ。

純粋であるということは幸せなことだ。何も知らないということで物事を深く感じて感動の中で生きられたら、これ以上の幸福ってないんじゃないか。思春期前の子供がそうだ。

純粋性を守ろうとしていること自体、すでに純粋性を失いつつあるのではないか。本当の純粋性は変化変容に抗わないものだ。
そもそも「純粋性」なんて本当にあるのだろうか。純粋な愛、純粋な芸術、純粋な信仰。生まれて間もない子供ならともかく、自分で生きていくことに目覚めた頃から、人と物事との関係はギブ・アンド・テイクになっていく。純粋性の信望者は認めたくない現実だが。

私たちに唯一「純粋性」があるとすれば、いかなる時も、目の前に提示されたギブ・アンド・テイクを心より楽しむことだろう。


床に掃除機をかけ終わった後、部屋の中の細々としたものを片付けた。
画家、とか、クリエイター、とか、かっこいい肩書を持っていても、普通の人と変わらない。結婚して夫婦で生活して子供が生まれて、人として普通の欲望を満たしている。でも、のんべんたらりと生きてきたわけではない。私は人と係って、できるかぎり人や自分を知ろうとしてきた。

雑多な生活の中に、私ならではの意味を見つける。普通に流れてしまう時間の中にも、今この瞬間と、これからの私を形作っていく要素があるのだと。
この世から消えていくときに、それらは私が生きてきた自信になるだろうという確信が私の中にはあるのだ。


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理解しがたいものを理解し受け入れるために書いています。自由でスピリチュアルな風の時代に、私の気づきがお役に立てればと思います。

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