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誰もが「唯一無二」の存在であることを、知ることができない。

最近、ネットのニュースで「セカンドパートナー」というキーワードをよく見る。肉体関係を持たない異性とのパートナーシップのことで、不倫に代わる新しい関係だと言われている。

私はこの記事を見ると不快な気持ちになる。人が生きていればいろんな人と関係性が生まれるのに、いちいち定義付けして、安定させようとするのが不自然な気がした。
一夫一妻制に無理がある人たちがこれだけ多いということだろう。しかしながら、一人と向き合うことは、どれだけ大変なことかを物語っている。

よく、社交的でモテる人は浮気しやすいとか、有能で何でもできる人は一つのことを極められないとか言われる。社交的、博識、有能、それは一見、生きるのに有利なように見えるが、特定の分野で唯一無二の存在になるには不利みたいだ。

何はともあれ、替えの効かない、唯一無二の存在になりたい人が多いから、こんな話題が出るのだろう。裏を返せば、自分は取り替えが効く存在だと思っている人が多いということだ。

なんて虚しいことだろうな。
自分のことを、そんなふうにしか思えないなんて。


高校時代の級友で、とても憧れている女の子がいた。彼女はモデルをやっていて、他の高校生より垢抜けていた。デザイナー志望でセンスも良く、バンド活動もやっていたので目立つ存在だった。いつも明るく楽しく、友達も多かった。
いろんなことができて器用な人だったが、私は彼女を取り替えのきく人だと思ったことがない。むしろ、彼女ほど皆を明るく照らす人はなかなかいないと、羨望の眼差しで見ていた。
でも彼女は自分のことを、器用貧乏で何をしても中途半端だと言っていた。

皆自分のことはよくわからないものだ。どんなに輝いていても、どんなに周りを照らしていても、自分の本当の利点というのは、他人からじゃないと見えない。自分の全身の姿を自分では見ることができないように。

私は子供の頃、社交的ではなかったので、たくさんの人と交流できる人が羨ましかった。その人は自分自身に自信を持っていて、他人と交換できるものをたくさん持っているのだろう、と思っていた。もっとも、自分にも交換できるものはあったと思うが、自信を持って差し出すことができなかった。

自分自身を認識するには、他者を必要とする。まっすぐ見つめて、正しく評価してくれる人。そのためには、たくさんの人に会う必要があるし、自分をまっすぐ伝える素直さが必要だ。

大切なことは、その「素直さ」を育てていけるかということだ。誰かの唯一無二の存在になれるか否かということは、相手の素直さを育てていけるかということに直結する。なぜなら、相手を思う真心がないとできないことだからだ。

思えば私は人と付き合う時に、相手を意識するあまり、自分の素を出すことにいちいち躊躇していることに気づいた。自分を出しすぎることで、相手が遠慮してしまうことを恐れ、自分の欲求を抑圧してしまう。

コミュニケーションにはテクニックがいる。自己肯定感がないとそれは育っていけない。随分な大人になっても、自己表現がうまくできずに彷徨っている人は何と多いことだろう。だから人はシンプルではなく、シンプルでないから、許すことができる豊かさを持っているのだ。

今の私の課題は、どうでもいい感情を、あまり考えずに吐露できるようになること。普段やっていないことをやると驚かれるかもしれないけど、そんな自分を許せるようになりたい。


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