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「欲望」の在り処

お昼時に娘を呼んだら、やや機嫌が悪かった。昨晩は遅くまで起きていたらしく体調がすぐれなかったのかもしれない。食卓に座って、数分したらボチボチと料理をつまみ始める。
カラオケでも行く?と声をかけてみたら、娘は「絵を描きたい!」と言って部屋に戻ってしまった。

少しがっかりした後、ああそうだな、私もこんなことがあったなあ、と思い出した。

集中して文章を書いていたり、絵を描いていたりする時は、本当に自分の世界で奮闘していて、そこに誰かが参入してくると物凄く不快な気持ちになる。団欒の時に家族と過ごすのが好きだったのだけど、内的な戦いの時は、周りがどんなに楽しそうにしていても盲目閉鎖状態なのだ。

大人からしたら家族行事は子供との時間を楽しむ大切な時間だったので、娘にそんな態度を取られたら当然がっかりする。若い時の私はそれでも内的な戦いを放棄できずに、家族との時間に穴を空けて咎められ、内的な時間をセーブしようとしているうちに、家族との時間が呪縛に感じるようになっていった。

今思うと、この内的な戦いとは、まさに欲望の時間だった。衣食住のような生的欲求とは違う。私が私でありたい、その私を深く探究し表現したいという深い欲求だ。でも、周りの大人はそれを個性的とか、自己中と言ったりしていた。

娘は欲望に目覚めている。
それと同時に、私自身の欲望の在り処も改めて認識した。

自分が自分であろうとする内的な戦いに勝ち、外に強く表現すること。
覚めたら、その先の道が開かれていく。


欲望の炎を絶やすな!



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理解しがたいものを理解し受け入れるために書いています。自由でスピリチュアルな風の時代に、私の気づきがお役に立てればと思います。

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