1997年公開の映画「タイタニック」を見ていたら、レオナルド・デカプリオが気になって、ネットで調べてみた。
YouTubeでは有り余るほど動画があった。生い立ちから子役時代、俳優活動の奮闘歴や女性遍歴などを見ると、私が好きだった「タイタニック」のジャック・ドーゾンとはかけ離れた人物だった。がっかりというか、庶民には到底手が届かない、豪快で奔放なセレブの生き方を目の当たりにしたようだった。
パリではっちゃけている若き日のレオナルド・デカプリオの動画があった。エッフェル塔の前で、フランス語で「鳥のおもちゃはどうやって手に入れるの」と聞き、おもちゃのネジを回して力一杯飛ばし、「レジェンドですか」と聞かれて「そうかもね」とさらりと返す。無邪気に楽しむ青年のしぐさひとつひとつに、生き生きとした清廉な美しさがあった。
レオナルド・デカプリオの全盛期、正直そんなにかっこいいと思わなかった。セックスシンボルと呼ばれるには、少々子供っぽいと思った。どちらかというと、トム・クルーズみたいな紳士的なタイプの方が好きだった。しかし、今こうして見てみると、レオナルド・デカプリオのそのやんちゃぶりが、普段お高く止まらずにいられない女の本能を刺激するのはわかる気がする。
レオナルド・デカプリオはスーパースターだが、その過程は平坦ではなかった。映画界の鉄壁の常識にうちのめされても、自分流を貫き通している。何度も主演男優賞を逃しても諦めない役作りへの情熱と集中力。かなりのマザコンで、25歳以上の女性とはつき合わないという変わった性癖を地でいく図太さは、紳士的どころか野獣的のように感じる。
レオナルド・デカプリオは素敵だ。魅力的だ。そのカリスマ性を目の当たりにすればするほど、私は虚しい気持ちになる。絶対私はこの人には手が届かない。こんなふうに笑えないし、自分らしさを突き通せない。近くに行ったら被爆してしまうだろうから、一歩引いて見ているだけでいいやと思ってしまう。
太陽のように光を放つ人物には、狂おしいほど魅力を感じながら、この情熱の行き場がないことを一瞬で悟ってしまう。そんなときほど、恋の虚無を感じることはない。
「推し活」夢中になる若い子たちは、この虚しさを承知でやっているのだろうか。私は現実感のない恋に悶えるのは嫌なので、幻想の中の相手をできるだけ現実に引きずり込んで人間性をさぐり、自分との接点を探してしまう。私は情熱よりも、つながり感の方が重要なのだ。
でもだからこそ、いつまでも情熱を保ち、一瞬一瞬を楽しんで生きられる人に魅力を感じる。「今ここ」を全力で生きる人のピュアでブレない精神に触れ、少しでもそこに近づけたらいいなと思ったりする。
写真:映画「タイタニック」より
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