20歳の頃、急に家族と白樺高原へ旅行に行くことになった。当時は私は家で母以外とはあまりしゃべらず、父と弟は、何考えているかほとんどわからなかった。
おしゃれなホテルに宿泊し、ディナーは豪華なフランス料理だった。青いテーブルクロスに、銀色のフォークとナイフ。高級な鴨肉は、いつもの節制生活からかけ離れていて、なんだか変な気分だった。
おそらく父が昇進したからか、もしくは私が20歳(弟が17歳)を迎えたので記念に何かしたかったのかもしれない。
20歳といっても正直実感がなかった。15歳くらいから成長が止まっている感じだった。まだ携帯電話もメールもない時代だ。我が家は付き合う友達に厳しく、男の子から電話がかかってくると追求されたり、電話を取り継いでもらえないこともあった。私は頑丈な檻に入れられたまま、本当に自分のしたい経験ができないでいた。しかし母も父も、そんな私の心には気づかず「大きくなったわね」と満足そうに私を見ていた。
「20歳の記念」ということで、父の行きつけの飲み屋に連れて行ってもらった。
そこにはホステスさんがいて、父とは仲良しのようだった。お客たちは酒を飲み、歌を歌い、ホステスさんと談笑して楽しんでいた。父は「大人になるとこう世界もあるのだよ」と私にいった。
大学の友達の中にはバーや飲み屋でバイトしている人もいたし、そこで行われていることも、とっくに知っていた。(私自身は実際にそこでの楽しみを知っていた訳では無いが)。
このような所が大人の世界、と言われたことに私は軽い失望を覚えた。ここで遊ぶ大人たちを楽しそうだとも、尊敬すべきだとも思わなかったから。もっと建設的で、エキサイティングなところであって欲しかった。しかしながら、大人たちが社会で仕事をして、余ったエネルギーはこのように浪費している現実は、これから私が出ていく「社会」とは、ひどく虚しいところのように感じた。そして私自身が、父のいう「大人」というものから、ずいぶん遠いところにいることも。
20歳になったから突然大人に切り替わるという訳では無い。生活環境で色んな刺激に触れ少しずつ大人になっていく。大人、オトナ。しかし実際何が大人で何が子供ってよく分からなかったし、だいぶ時がたった今でも、人とは常にオトナとコドモの複合体だと思う。そして人生で出会う人は、それがどんなふうだったとしても、良い悪いでなく、好きか嫌いか、共感できるかできないかの問題なのだ。
20歳の記念日を過ぎてから、私はたくさんの本を読んだ。限りある人生を、快楽で無駄に消費したくなかった。結局私をを導いてくれたのは、先人たちの知恵と経験が込められた活字だった。
人生に間違いはない。あなたも私も掛け替えのない存在で、大人であろうと、子供であろうと、何を選んでどう歩こうと、幸せだったら結果オーライだ。
だから、したくないことはしない。好きな人と、好きなことをし、好きなように生きる。そう決めたとき、重たい昨日とは縁が切れ、毎日はまだ見ぬ鮮やかな色彩に変わっていくと思う。
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