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愛したら手放す。

娘が小学生の頃、子供のアトリエをやっていた。毎週絵を描いたり造形したりするのは本当に楽しかったな。自由になると子供の想像力は全力で羽ばたく!楽しむときはとても楽しむから、私は子供を面白がらせることに一生懸命だったし、子供の創造性に幸せにしてもらっていた。

しかし、教室を楽しんでいた子が急に辞めることになった。理由は「塾へ行かなくてはならないから」。お母さんはとても丁寧な人だったのだけど、辞める意思を伝えるときの、凛とした口調がぐさっと突き刺さった。

教室は仕事だし、子供を通わせる親の意向は当然あるんだけど、子供の心をちゃんと汲んでいたのか、しばしば思い出して恐ろしくなっていた。
そのお子さんの楽しみを絶たれただけでなく、楽しんでいた私の中の子供まで殺された気がして、しばらくは悲しみが癒えなかった。

それから、よその家のお母さんを見ると恐ろしくなって、外を歩けなくなった。何か食べると胃が気持ち悪くなるので病院へ行ったら、胃潰瘍と診断された。


私の中の子供は「母」が怖い。

私に喜びや楽しみを与え、それらを取り上げて殺すことも簡単にやってのける存在。特に教育のために母性を使って子供や操る人をみると鳩尾のあたりがゾワゾワっとする。



…… 書いてみて思ったけど、これは私自身の投影なのかもな。

私だって、子供たちに思う存分の開放感や、喜びや楽しみを与えて、まるで自分の箱庭ですくすく伸びて行く植物を眺めるように満足していたのだから。でも教え子の一人が辞めたら、やる気を失ってしまった。

天国に昇って、地獄に落ちたような。私って身勝手だなあと思う。子供たちに申し訳ない。
いずれにしろ、私は子供と一緒に楽しんでばかりで、プロ意識を持たなかったのがいけないのだ。



「自由」「創造性」「愛」は、幸せになるための三点セット。女にとって、命そのもの。かわいいものじゃない。傷つきやすくて、無防備で、勇敢で、獰猛なもの。本気で動き出したら、全身全霊で与えて、守って、言うこと聞かせて、最後には食べてしまいそう。そんなことになったら申し訳ない。

適度な距離をとって、相手を尊重して、という器用な芸当ができないので、全部許してもらえる大きな受け皿に出会いたかった。(それが人間であるか否かは関係なく)でもその時がきたら、私はそれ相当の覚悟をするのだろう。たぶん、手放さなくてはならないものがあるから。


今も、わかっていながら、覚悟ができないことはたくさんあるけど、これから少しずつ、覚悟していくんだろうな。

覚悟が決まると、楽になる。
相手を幸せにしている確信が持てるなら、愛することに罪悪感を持たなくなるから。
 
愛したら手放す。相手の望みをかなえて、私も自由になる。
そういうことを繰り返して、私は愛に近い人になれるかもしれない。



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