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「あっちの世界」の住人。

美術大学に入学し、制作三昧の娘が最近変なことを言う故に、そのノリで暴動するので、私が「やばいよ」と言ったら「ママも変なこと言うよ」と言われた。

妙に納得してしまった(笑)。
私が娘と同じ歳の頃は、頭の中は妄想でいっぱいで、時々思い出し笑いをして母に注意されていた。その時から今まで努力は試みたが、さして変わっていないように思う。

「あんまり外れると戻れなくなるよ、片足をくらい現実に突っ込んでおかないと」
自分の経験から娘に言うと、娘は酔っ払ったような顔で(酒は飲んでない)「いいのよ、私は外れに行ってるから」と気持ちよさそうに言った。


大した度胸だ。宇宙の外れまで流されていって、どうにかなってもこわくないのかよ。
しかしながら酔ってしあわせそうな娘を見ていると、一緒にほっこりしたくなる、この「ほっこり感」で、やっと娘と繋がれた気がした。

しかしながら、最近、母娘は話が通じなくなっている。

私も普段、どちかというと、「あっちの世界」の住人だ。ボーッとしだすと、あとからあとからイマジネーションが噴き出て止まらない。確かにイマジネーションの世界は心地よいが、皆が皆「あっちの世界」で生きだしたら本当にコミュニケーション不能になるのではないか。

人といる時、片方が自分の世界にどっぷり浸かっていたりすると、もう片方は不安になる。その人が何を考えているかわからないから。妄想状態の人は、周囲から見たらブラックボックス状態なのだ。

しかしそういう状態は、周りを不安にさせる。健全な人間関係を築きたかったら、たまにはそのブラックボックスを開けて中身を開示しないといけない。

尤も、普段からイマジネーションが激流のように回っている人は、いきなりそのブラックボックスを開けることが、どれだけ困難で危険なことかわからないでもないけれど。

コミュニケーションを求める人にとって、ブラックボックスな人は、ストレスフルな存在だ。それがパートナーであったりしたら、人生が絶望的に思えてくる。私は夫にもだいぶ長いこと、そんな気持ちにさせていた。少しずつ理解し合えるようになってきたのは、二人の間に向き合わなくてはならない問題が起き、ブラックボックスを開ける勇気の積み重ねがあったからだろう。


ここでふと考えた。
みんな本当は「あっちの世界」を持っているのではないか。

普段から多くの人と関わって制約的な生活をしている人であっても、何かことに当たって勝手に思うことがあれば、それは「あっちの世界」なのだ。
それを意識しすぎてしまうと、こっちの世界(現実)でうまくやれなくなるから、考えないようにしているだけであって。

そうすると、「こっちの世界」でお金やら名誉やら経済やらを追いかけている人たちは、コミュニケーションにおいては比較的楽な場所で生きているのではないか。だって共通言語があるのだから。

では私たちが住んでいる「あっちの世界」ってなんなの?というと、それは私の言葉で言うなら、「こっちの世界」で殺されたものが集まっているところだ。私はそれをいちいち拾って、生き返らせて、堪能している。

少なくともそれは意味のあることだと思うし、いつかそれらがどんなに優しくて敬うべきものか、「こっちの世界」の人にも教えてあげたいと思う。


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