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優れた美術作品にはエゴがない。

最近ストレスフルな時に眠りにつくと、脳裏にSNSで見たような気持ちの悪い画像が浮かんで連続再生されて眠れないと医者に言ったら「鬱」と診断され抗うつ薬をもらってきた。鬱には縁がないと思っていたのだけど、三年前に父が亡くなってから色々あって、悪い考えがヘドロみたいにこびりついていたな。
あまりネガティブなことは書きたくないので、これくらいにしておく。

さっきテレビで「美術の先生が選ぶ今行っておきたい美術館ランキング」という番組を見ていた。
モネとかロダンとか、ミロとか、世界の巨匠の作品を見ていると心が洗われる。優れた美術作品にはエゴがない。売れたいとか有名になりたいとか、今ネット上の作品にはそんなエゴが溢れかえっているけど、本物の美術にはそういった小賢しい欲望を感じないどころか、そういったエゴをぶち壊すようなことを堂々とやってのける。潔い。清々しい。魂の琴音に響いたものを一身に追求し続けるその姿勢は、正気を見失いそうな現代生活から救い出してくれる。

良いなあ…と思いながら見ていたら、なんと相模原にある母校の高校の先生がランクインした美術館について喋っていた。
なんと懐かしい….(笑)私が通っていた頃はまだ新設校で、美大合格者を出すことに先生方は一生懸命だった。美術的にも人間的にも激動期で、愚かさを曝け出して先生とぶつかり合い、砕け散るように卒業したな(笑)その頃の先生方はもう定年退職されていて、テレビで話しているのは、今その母校で教壇にたっていらっしゃる先生なのだけど、こんなところに出るまでになって母校も出世したもんだなあとささやかな感動を覚えた。

そうだな、私はずっと美術をやってきた。
作品を作らなかった時期もあるけど、創作は私の魂の根っこにいつもくっついていた。現実生活でのコミュニケーションでは伝えきれないものをたくさん抱えてきたから。

人間はどんなに温かく色彩に満ちているか、それに引き換え、現実社会はどれだけ冷酷なのか。いつか吐き出そう、今か今かとそのタイミングを伺いながら、生きてきた。
爆発しそうで爆発しない爆弾をずっと隠し持っている、このもどかしさ。作品を創らずに安易な欲望に身を投じている人にはわからないだろう。

美術なんか金にならないからちゃんとした仕事につけ、とか、売れる絵を描いてみろ、とかいう人の言い分は、今なら少しは理解できるようになったが、はっきり言って私のような人間とは別世界に住んでいる。


コミュニケーションは簡単にはいかない。すべての人と分かり合えるわけではない。
だからこそ、芸術を志す者の本当の目的は、現実社会に揉まれて創造力を失ってしまった人たちに、もう一度それを体感させ、それがどんなに大切なものなのかを思い知らせることだと思う。人生を半分過ぎて、やっとこの答えに辿り着いた私は、また赤ん坊に戻ってしまったような気分だ。

今はただ感じることしかできない。今生きているこの瞬間を、一緒に呼吸している人を、その温かさを、できるだけ感じて私の中を愛でいっぱいにしたい。多分冥土の土産に持っていけるものは、それくらいしかないだろう。

人生は短い。
悠長に過ごしている暇なんかない。

これから体力も衰えて、動けなくなって、死ぬ間際になった私は何を思って、何を後悔するだろうか。やはり言いたいことを言えなかったことだろう。だから言わなくちゃ、恥も外聞も、恐れも全部かなぐり捨てて、惨めで愚かな自分も全肯定して、弾丸のように向かっていく。何に?

一瞬言葉を失った。ここから先は言語化できない。でもその一瞬はイメージできる。太陽の炎の中に突っ込んでいく時に、肉体の境界も骨も皮も全て溶解して、ただ魂だけになって突っ込んでいけたら、どんなに清々しいだろう、ということだ。



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