- 2022年6月6日
「こだわり」から抜け出すために。
心の空虚に何かがスポンとハマって、魂ごと持っていかれてしまうようなことって、よくあるんだよね。人間の意識は恐ろしいもので、空虚や不安を見続けていると、それが前提の人生になってしまうのだ。
心の空虚に何かがスポンとハマって、魂ごと持っていかれてしまうようなことって、よくあるんだよね。人間の意識は恐ろしいもので、空虚や不安を見続けていると、それが前提の人生になってしまうのだ。
どうして私は、苦しいときに助けを求められないんだろう。罪悪感を持つんだろう....心のルートを辿っていくと、昔「自分を犠牲にしてでも、人を助けなさい」と教えた大人の顔が浮かんだ。
本当に心に響くものは、必ずしも目に見えるものではない。アートにしても、絵具やマチエルの技法では語れない何かが、知らないうちに私たちの根底に突き刺さり、人生や社会を変えていく。
大切なのは「エネルギーを腐らせない」ことだ。情熱を注ぐものを持ち、真っ直ぐに生きることは、何も恥ずべきことではない。むしろそれがないと、社会の檻の中から自分の未来を見出すことができない。
「私を助けて!誰か、この痛みを止めて!!」と一心不乱に叫んで、自分の男に訴えたときに逃げたり否定しようものなら、私はその男を問答無用で殺すだろう。良いか悪いかは別として、これが「女」だと、初めて実感した。
発信者が見えないまま感情を受け取り続けていると、いろんなものが誇張されて見えてくる。自分を見てほしい、楽しませて欲しい、癒してほしい...そういった欲望のプラットホームで、しばしば現実感を失う。
いつか食卓で、娘が小学生の時の私の子育ての話題になり、夫に「あの時のお前は、自分の子をすごい子にしようとしているみたいだった」と言われた。ちょっと、グサッと来たが、「だって学校がいろいろ言ってきたから」と返した。
自分の求めるものと、他人から求められるものが一致した時、その関係は成立する。しかし、幸福であるかどうかは、時々検証しなければならない。なぜなら人は経験を積むにつれ、置かれている状況、心のあり方が変わるからだ。