- 2024年6月3日
「私」を表現して生きる。
人は多面体で、面と面で繋がって関係ができる。付き合いの中で化学反応を絶え間なく起こし、知らない自分と出会うたび脱皮を強いられる。自己表現して受容してもらわないと、縮んで干からびていく。
人は多面体で、面と面で繋がって関係ができる。付き合いの中で化学反応を絶え間なく起こし、知らない自分と出会うたび脱皮を強いられる。自己表現して受容してもらわないと、縮んで干からびていく。
高校時代、母から「目立ちたがりだった」と言われて恥ずかしい気持ちになった。社会の圧力で表現力が萎縮されたが、大人になってクリエイティビティの大切さを理解し、表現力を取り戻そうと決意。
岡本太郎は、社会常識やいわゆる外目線に合わせて自分を変えるのではなく、自分自身を社会にぶつけて傷付いたり成長していくことを「人間が膨らむ」と言っている。良い表現だなあと思う。そこには借り物でない真の喜びがあるだろう。
昨日書いた記事が抽象的で不完全感があったので、「子持ち様」問題についてもうすこし調べてみた。特に職場で子供のために急に休む人のしわ寄せが子持ちでない人にいくことが問題視されているようだった。
ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
評価する側を尊敬し、そこに近づく、あるいは喜ばれようと頑張るから認められるのであって、尊敬のないところで、それはあり得ない。どうしてこんな当たり前のことがわからなかったのだろう。
一つのことをやり続ける理由は何か。何十年も探求をし続けてきた人は、それをしている時が一番楽だ、という。それはそれでいいけど、本心はその活動を通して新しい視点が欲しいからではないか。