昨日は一人で墓参りに行った。
墓地って霊がウヨウヨいそうだし、なんだか怖いような気がしたんだけど、父に会って話がしたかったので、いつもより早く起きて、片道2時間かかる横浜霊園へ出かけた。
一人で墓地に行くのは、どれくらいぶりだろう。20年以上前だったが、曇り空の墓地は物寂しい感じがしたのを覚えている。
墓掃除をしたことがない私は、勝手がわからず、別の墓に来ていたお婆さんに、水汲みの場所を聞いた。お婆さんは曲がった腰を手で押さえながら、しっかりした足取りで私を案内してくれた。
バケツに水を汲み、家から持ってきた雑巾で墓石を丁寧に拭いて、地元の花屋で買った菊の花を添える。花は一束しか買ってこなかったので、墓石の両側に供えられなかった。知識不足はこういう時に、損するよな。
霊園の事務所に売っていた花束はちゃんと2束セットだったが、値段が割高だった。駅前にも花屋があったので、今度からそこで買うことにしよう、と、そんなことを考えていると、墓に来た目的を忘れてしまう。
線香を焚いて手を合わせる。顔を上げると、高く澄み渡る晴天があった。冬にしては暖かい風が体の中を通り抜けていく。とても清々しい感じがした。
今ここにいるのは、ガイドスピリットだろうか。私は守られていると思った。
外柵に腰掛けてしばらく休んだあと、もと来た道を歩きだした。
年末なので、墓参りに来ている人がちらほら見えた。墓地の所々に添えられた鮮やかな花の色が目を楽しませた。墓石もよく見ると個性豊かで、刻まれているのは先祖の名字だけでなく、「心」「感謝」「絆」などの文字も多く見られた。各家が代々大切にしてきたものなんだろう。
帰りのタクシーでは心地良い疲れと眠気が来て、家路の途中でうとうと眠りたくなった。
父が天から降りてきたのかもしれない。御加護がありますように。
その夜、記事を書くために、墓のことを調べてみた。
今は、継承墓だけでなく、樹木墓、納骨堂など、色々あるらしい。私はどんな墓に入ったらいいのだろう、と考えると、切ない気持ちになった。どんな墓に入ろうと、生きていた頃のような鮮やかな日々はもうないのだ。
人間は死んだら無くなる、墓なんてあってもなくてもいいと思っていたのだけど、残された人が会いに来たがらない、とも断言できない。残された人、というのは今、繋がりがある人のことだ。私は「繋がり」を感じられるようになったのだ、と改めて気づいた。
20年以上前、一人で墓地を訪れた時、灰色の風景にしか見えなかった。当時は、自分のことばかり考えていて、他者、過去や未来との繋がりを感じられなかった。砂漠のような孤独感から抜け出したくていろんな挑戦をしたけど、心の扉を閉めたままでは感じられるはずもない。
せめてこの、若さというか、愚かさを打破しようとしてくれた人がいたことが幸運だった。
我欲に振り回されて「甘ったれんじゃねえよ」と繰り返し言われることで、人は成長していけるのかもしれない。
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