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「子持ち様」が育てているもの。

子育て世帯が「子持ち様」と呼ばれ、ネット上で批判されているらしい。仕事や社会生活の色々な場面で子持ちの人が優遇を受けることへの不満と無理解が広がっているようだ。

今の若い人は恋愛や結婚にあまり積極的でない。自由を求めるあまり、密な感情的つながりを嫌う傾向があるのかな。感情は扱いが面倒くさいから蓋をしたい人が多いのかもしれない。だから子持ちさんが直面している内面と外面との激しい葛藤を、余計理解しがたいのだろう。

私も出産前は子持ちの人の行動や言動に批判的だったから、わからないでもない。女というものは共感の生き物だから、自分と立場の違う存在に対し、嫉妬や敵意を持ちやすい。昔は子育てするのが一般的だったけど、今は女性の生き方も多様化し、未婚やDINKSも増えているためか、子持ち家庭の方がマイノリティになっているようだ。

昭和世代の私は「子育てしなければ女になれない」とよく言われてきたし、それが言わんとすることはよくわかったけど、今の時代、「女」というものの定義も変わったのかもしれない。価値観はひっくり返るもんだな。


産前は、路上で子供を叱ったり溺愛したり、子育てを理由に社会的ルールを乱す母親たちを見て不快だった。彼女たちは自分のしていることが最も正しくて、最も大変だと思っているように見えたから。
私も普段、皆と歩調を合わせるのにいろんな場面で自分を抑圧していたから、愛情や憎悪を剥き出しで生きる母親さんたちをあまり美しいと思わなかった。一方で、いきいきと気持ちを交換して和やかに生きるお母さんたちに憧れを抱いてもいた。


女性性を解放して生きている人、ある程度経験を積んだ今だから、そういう人たちのことを理解できるようになったけど、彼女たちに踏み込むのは、六分目くらいで抑えている。実際、踏み込みすぎて引き起こされた多くのトラブルを目にしてきたから。
女性性が本気で動き出したら人を傷つけると、子供の頃から本能的に感じていた。だから、それが目覚めるのをとても恐れていたけど、それを手懐けなくては、まともに生きられない気もしていた。このように感じる私の中には、とてつもない女性性が眠っているのではと思う。


今は穏やかな生活ができているから、他者からの承認を昔ほど必要としなくなった。だから、世の中で頻繁に起きている女性のトラブルにも寛容になれている。それでも、公の場で活躍しているアーティストを見ると羨ましくなるのは、私の中には未だ目覚めていないものが疼いているのかもしれない。

感情を解放できていない、解放する、というような話を友人にすると、わからない領域だよ、というような顔をされる。もう落ち着きなよ、とか、老後のこと考えなよ、とか、夢を追うのはやめときなよとかいう年配さんたちの声を聞くと一気に老け込んだ気になるが、人生で最もエキサイティングな挑戦をしないで現役をフェードアウトするには早すぎる。

いわゆる「一般」の枠組みを越えるための挑戦なのだ、ここからは。7000メートル上空から開かないかもしれないパラシュートを持って飛び降りるみたいな。でも今なら気持ちよく飛ぶことが可能だ。



女性性とはまさに自由な幸福の探究なのではないか。今の心地よさを感じ、自分のみならず周りも一緒に幸せにしていく生き方が新しい価値を創造する。その探究は、これまで女性のメインステージとされていた恋愛、結婚、出産、子育ての場面だけではなく、もっと多様な世界で実施可能だ。だから私たちは時代の向きにかかわらず、行きたいところに行き、望む体験をするべきなのだ。

私たちの精神は社会的な制約を超えて、人生を自由に選び取る修練をするよう運命づけられている。常に煩わされている健康や仕事、人間関係、お金の問題も、自分の幸せを軸に視点を変えれば、全てに感謝できるのかもしれないし、そうなりたい。

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