- 2025年8月11日
Independent Tokyo 2025 終了。
集団で展示すると、自分の絵がどのように見えるか、正直、目の当たりにするのが怖かった。でも実際会場に展示してみると、自分の持ち味や至らない部分もしっかり受け止める事ができた。
現代美術について考えたこと。
集団で展示すると、自分の絵がどのように見えるか、正直、目の当たりにするのが怖かった。でも実際会場に展示してみると、自分の持ち味や至らない部分もしっかり受け止める事ができた。
今までデジタルアートを制作してきたのに、なぜ今更肉筆なのかという声が聞こえてきそうだが、手で制作することで自分の作品に一層愛着を感じられるようになったから。
これから多様化が進んで、皆がそれぞれの考えを持って生きているなら、誰か一人の考え方が全体を支配して引っ張っていくのは不可能だ。代わりに他者と共感し係わる能力が必要になるだろう。
松山智一さんの作品からは多人種の混乱と奮闘が伝わってくる。それが世界の中心地、ニューヨークという場所、松山智一さんの日常なのだろう。
自分のやりたいことをやってもいいですよ、というのは言葉の綾だ。外界とリンクしないからオリジナリティと言えるのだけど、自分のオリジナルの世界のどこから橋をかけるか、それは外側の世界を知らないと見つからない。
私は作品が面白いと、作家がどういう人なのか気になってしまう。技法を聞こうとすると、快く教えてくれる人と、口を継ぐんでしまう人、誤魔化して教えてくれない人がいた。
若いうちは最も大切なものに気づきにくい。しかし不思議なもので、外的にどのような道を歩まされることになったとしても、潜在的に自分の大切なものは手放さずに生きていくものだと思う。