- 2025年4月18日
多様性社会に必要なもの。
これから多様化が進んで、皆がそれぞれの考えを持って生きているなら、誰か一人の考え方が全体を支配して引っ張っていくのは不可能だ。代わりに他者と共感し係わる能力が必要になるだろう。
私たちの社会について考えたこと。
これから多様化が進んで、皆がそれぞれの考えを持って生きているなら、誰か一人の考え方が全体を支配して引っ張っていくのは不可能だ。代わりに他者と共感し係わる能力が必要になるだろう。
アベレージな人たちは、皆と同じでいることが安心なので、アベレージにとどまっている。そして本当の自分自身を知ろうとしない(あるいは、表現しない)。良いかか悪いか、という問題ではなく、それが生き抜く術なのだ。
街ではよく、家族で道の真ん中を歩いたり、スーパーの細い通路で子供が走り回っても注意しないインド人を見かける。日本は秩序を重んじるので、他人の迷惑を考えない行動には批判的だが、それに気づかないか、気づいてもどうすることもできない人も多い。
子供を産まないのは社会的に危機であるが、女性が自立しているなら、子供はいらないと思うのもわからないでもない。子供が多くて不幸せな人が多い社会より、子供がいなくても幸福な人が多い社会の方が結果的には豊かになるのではないか?
彼女たちは子供を産んだことに後悔はしていないが、この社会で母になったことには後悔している。なぜなら、日本の社会は良い母親を期待するからだ。
「成功」というキーワードを聞くと眉を顰める人がいる。そういう人は成功に展望を持てないか、あるいは貪欲に成功を求めることに嫌悪感があるのだろう。でもこれからの時代を生きるには、昭和時代特有のブロックを外していかなくてはならない。
皆自分のことはよくわからないものだ。どんなに輝いていても、どんなに周りを照らしていても、自分の本当の利点というのは、他人からじゃないと見えない。自分の全身の姿を自分では見ることができないように。
令和世代の浮遊感を取り入れようとトライしてみたが、若い人のようにうまくはいかない。私は「過去」という踏み台があるからこそ、今から未来へと高く跳べるのだろう。