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「忙しさ」の罠。

高校2年生の時だったかな、フィリピンのマニラで日本企業の支店長が誘拐され、指を切られた支店長の写真がテレビで公開されたことがあった。
犯人グループは人質を公開し身代金を日本企業に要求したのだ。この映像を見た私はとてもショックを受けた。
なんの罪もない日本人がどうして外国で拘束れて指を切られなくてはならないのか。人質になった人の切られた指の痛みが私の指にまでじんじんとシンクロしてきて、夜も眠れないくらい落ち込んだ。そしてこのあまりにも理不尽な現実を自分の中で落ち着かせたくて、当時周りにいた、いろんな大人に相談した。

ほとんどの人がそれほどこの事件について深く考えていなかった。「お前、暇だな」と、悩む私を面白がる人もいた。人が死の危険に晒されても何も感じないで傍観する人たちを目の当たりにした私は周囲に深く心を閉ざしていった。

あれから数十年の月日が経ち、私は当時私を笑った大人たちと同じくらいの年齢になった。新年早々、地震や飛行機事故のニュースが国内を駆け巡り、被害にあった人たちの様子がSNSやテレビ画面に流れた。
ここ数日、自分の制作と発表のことを考えていた私は、被災者を心配そうに見つめる娘を見て、ちょうど自分が16歳の頃、あのマニラでの誘拐事件について心を痛めていたことを思い出したのだった。

自分のことばかり考えていて、人の不幸について考える余裕がなかった。「お前暇だな」と私を笑った人たちも、自分の生活のことで頭がいっぱいだったのだろう。生活や人生を守りたいがために、この世の嫌な面、悲しい面から目をそらし、「そんなもん、見るなんてばかばかしいよ」と私にも自分にも言い聞かせたのだ。

確かに自分のことに集中した方が情報に振り回されることなく安心していられるのかもしれない。でも皆がそうなってしまったら、怖いと思った。どんなに真面目にやっていても、ちょっとしたきっかけで生活が傾くかもしれない。誰かが気づいたり、共感したり、手を差し伸べるから、不幸から助け出される。そういった温かさのない社会で安心して生きていけるのだろうか。

いつの時代もお互い助け合うコミュニティシステムがあり、声をかけあったり干渉しあったり微妙なバランスの中で人々は生きている。「そんなものは見ない方がいいよ」、と「もっと気をつけないといけないよ」が、入れ替わり立ち替わり心に入ってくる毎日で、人との距離の取り方の難しさを感じる。そういうことを考えない人は考えないのかもしれないけど、私は考えて助ける側の人間でいたいのだろうなと思う。

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