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感情を「上」に飛ばすか、「下」へ掘るか。

ここ1〜2年は自分の古い殻を破りたくて、普段やらないことをやったり、いろんな人に出会って別れた。その出来事一つ一つに自分を覆っていた膜を破られて、以前より剥き出しの自分になっている。

最近人に会うのが怖い。安易に社交辞令で終えることができなくなったから。一遍通りの言葉で終わらすことが申し訳ないのと、一歩深く踏み込むことの必要性と危険性を以前よりも感じている。

今更何言ってんだよ、と思うくらい、今まで甘ったれて生きていた。自分の杖や足場はあって当たり前と思っていた。でもそんなものは借り物か、誰かが私の分まで頑張って作っているもので、本当の居場所は自分がエネルギーを燃やして作るものだと思う。

今、何かがあるとはありがたいことだ。それを深く感じて受け取って生きなくては、本当に繋がることなんてできない。「繋がり」という言葉は頻繁に使っているが、人は結局、誰か、何かと繋がらなくては生きていけない。「繋がり」の形や方法は現代では多様に溢れかえっているけど、私は私で、自分にとっての繋がり方を問わなくてはいけない。


絵を描く時、物作りをする時、感情が作用する。そうではない人もいるかもしれないけど、私の場合はそうだ。
2019年冬(コロナ直前だった)マイアミへ行って、アメリカのポップアートを見た時は、すごい洗礼を受けた。この陽気さ、力強さ。マイアミアートウィークは深夜までレストランが賑わい、アーティストが壁にペイントし、パトカーも忙しく走っていた。

あの時、確かに私の可能性が引出されたのだと思う。
今の作品には渡米以降に出会ったポップアートの影響が色濃く現れているけど、風に飛ばされて飛んで行った風船のような気持ちになる時もある。

インスタのプロフィールに今絵と過去絵がずらっと並んでいると、過去絵の方に引き込まれる。その頃の私の絵には、どこにもいくところがない感情がずしっと重く含まれていて、誰にも譲れない温かい居場所のように感じる。

感情の飛び方は、大きく分けて2つある。「上」に飛ぶか。「下」に掘るか。
マイアミで見たポップアートは、「今ここ」を力一杯弾けるみたいに「上」に飛んでいた。

ポップアートのみならず、エンターテイメントの世界、例えば音楽(ジャズとか)、演劇など瞬間芸をする人たちは、上に飛ぶタイプかもしれない。ロケットや気球もそうであるように、機体(感情)が重かったり複雑だと軽やかに飛んだり動いたりするのは難しいからだ。広告クリエイターなどトレンドを追う職業の人もその傾向があるだろう。

一方、文学、スピリチュアル、ファインアートなどをやる人は下に掘るタイプが多いかもしれない。不明瞭なものを深く洞察して、感じたものをつなぎ合わせたり積み重ねたりして形にしていく。

私は子供の頃から感情表現がうまくできなくて、その方法をずっと探究してきたけれど、上に飛ぶより、下に掘る方が得意だ。一度にいろんな感情が出てくるので、瞬間でそれらを全部出そうとすると不完全燃焼になってしまう。

とはいえ、アメリカンポップアートは私に、違う飛び方を教えてくれた。生きるエネルギーをこんな風に使うこともできるよ、と、マイアミの街がまるっと教えてくれた。
だからこれからは、下に掘るばっかりではなくて、今までと違う方法で自分表現することもできるなと思う。


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言葉とアートで人生をブレイクスルーする フリーランス画家 佐藤智美

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