男と女は対等であるべきだと思っていた。それは、ちゃんと頭で考えられるようになること。そういう努力をいつもしていた。
子供の頃、なぜ殺人事件の犠牲者はいつも女で、加害者が男なのだろう、ということを、よく考えていた。男の方が力が強く、その気になったら女をねじ伏せることは簡単なのだという事実が、いつの間にか恐怖として私に巣食っていた。
美しく装う女はトゲを隠し持っている。誘惑して、相手の弱さにつけ込んで内部から破壊する。心が育っていない女ほど、そういう毒を武器として使こなす。あれは、男の支配に対抗するために、女がこっそり育てているものなんだろう。
…ものなんだろう、という言い方なのは、私はそれをうまく使えないからだ。だから本能に支配された男女を見ると、なんだか私が食われそうな気になってくる。
いつか見た少女向けアニメで、化物のように巨大化した敵の男を、それ以上に巨大化した少女戦士が優しく包み込み無力化するシーンを見た。なんだか、涙が出た。だって無力化された男が、とても安らかな顔なんだもん。少女戦士は武器を使わなかった。本当に和合する時は、武器なんていらないのだ。
現実の人間関係も、こんなふうに優しく和合できればいいのにな。本能に支配された人の暴力に恐れ立ちすくんでも、その向こうにある真実(心)を信じて真っ直ぐに手を差し伸べられるような、そんな人になりたい。
エドヴァルド・ムンク《ふたり(孤独な人達)》1899年頃
About TOMOMI SATO〜人生開拓アーティスト佐藤智美 プロフィール
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ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。
お宝鑑定団で初めて鴨居玲という画家を知った。ゴッホと同じ自画像作家として有名だが、幽霊のようなピエロのような自画像を見ていたら、目を背けていたものにまざまざ向き合わされたようだった。