安倍晋三元総理が死亡した。参議院選の応援演説中に銃撃されたのだ。日本中が騒然としている。
ちょうど昼ごはんの支度中にニュースの速報で知った。安倍元総理にはガードマンがついていたが、制止できなかった。加害者は散弾銃を気づかれないよう細工して、背後から撃ったようだ。
その一部始終をスマホで撮影した人も多く、繰り返し映像がテレビで流された。あまりにも通常の、私たちの日常と変わらない場所で、日本の社会を守り導いてきた人が民間の暴力によって命を絶たれた。
怖かった。目の前を覆っていたカーテンをいきなり破られたような。「明日は私かも」と不意に思った。そのようには考えたくないけど、見たくなかった社会の現実を見せつけられたような感じだった。
日本は銃の所持には厳しいし、警察と暴力団の争い事以外で銃撃事件はあまり聞かなかった。だから今回のような事は、私にとって違和感がありすぎた。「守る側の人が守られる側の人に殺される」という逆転の構図が、不気味だった。
最近、このような違和感に動揺することが多い。平穏が壊され、平常心であろうとすると緊張して体が強張る。動悸がする。これは1〜2年くらい前から私によく起きている現象だ。
平和というのは私の思い込みで、水面下では安穏と暮らす人たちを狙った銃口があちこちに仕掛けられている。私たちは守られているように見えても、災難は不意に襲ってくる。頼れるものがない、という現実は、容赦無く目の前に突きつけられる。
本当に平和ボケしている。
いや、私たちはいつも、平和を「演じている」のだ。
銃撃した犯人の動機をYoutubeで解析している人がいて、日本の事なかれ主義への恨みや妬み嫉みを放置することの危険性を訴えていたが、おそらく解析する本人がそういったネガティブな感情を持っているのだと思う。
本当の動機はわからない。一つ思うことは、人間の心を解析することなどできない、ということだ。
ちょっとしたことでムカついて、人を殺めてしまった、犯罪を起こしてしまった、という事は、決して許されることではないが、そのような暴力性を誰もが抱えていて、何かの拍子に表出してしまうような事は、起こりうるのではないか。
暴力性を出さずに生活できていることがありがたい。平穏と不穏の紙一重で生きる私たちの危うさを感じながらも、バランスをとって生きている。
写真:週刊女性PRIMEより
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教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。
お宝鑑定団で初めて鴨居玲という画家を知った。ゴッホと同じ自画像作家として有名だが、幽霊のようなピエロのような自画像を見ていたら、目を背けていたものにまざまざ向き合わされたようだった。
大切なものは「その人」を語る。距離が近くて言いたいことを言い合い傷つけあった人たちにも、大事にしているもの、楽しみにしていることがあった。向き合った時の言葉や顔色だけでなく、周辺まで見ると、一個人が立体的に見えてくる。
【個展開催のお知らせ】佐藤智美展〜INSPIRATION 会期:2024年4月10日(水)〜14日(日) 会期中無休 時間:11:00~20:00 ※4/10(水) 13:00-20:00 4/14 (日)11:00-16:00 場所:Gallery Klyuch (カフェle bois 2F)