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愛する美学。

以前うまくいかなかった会社について「素直に彼らの懐に入っていけば優しい人たちだった。そうでない人に対しては容赦なかった」と私が言ったら、夫が「うわー、そう言うの。嫌だなー」と言った。「嫌だって言っても、会社って人間関係だから。そういうものよ」と私は言った。

夫も私も、人の内側に一歩踏み込んでその人のエゴを見ると、激しく嫌悪してしまう。なんかな、そう思うことで、自分を守っているのかもしれない。
いろいろなコミュニティで聞く愚痴や陰口は苦手だった。もう少し理性で考えればうまくやれることなのに、それができない人たちを見下しているようなところがあった。いや本当は、少し気を緩めたら、そこに引き摺り込まれそうで怖かった。

こういう際どいところで、よく葛藤しているように思う。
人は陰口をいうから悪い人なのかというとそうではなくて、不満を抱えながらも日頃心がけていることがある。それが見えるまで、忍耐強く付き合っていくと嫌悪感も少しは収まっていくのだろうけど、私の場合、自分と合うか合わないかの最初の直感は大体間違っていないので、学びが終われば別れが待っていることが多い。

陰口や愚痴を言う人は、本当は承認が欲しいのだと思う。他人に愛されているという手応え。なぜならそれが、それが彼らの自尊心を上げるからだ。
でも承認や評価は、充分な成熟がなければ、傲慢さや支配欲を助長してしまう。その人のためにも社会のためにもよくないから、評価に値しない人には与えられないようになっている社会は、よくできたものだ。


共同体の中では必ず利害関係があり、誰が評価されていて、誰が愛されているかについて、いちいち不満や優越感を抱いたりする。期待と失望のリフレインは、それだけその共同体を受容しているからだ。何も期待していなければ、何も感じないし、その代わり愛されも評価されもしないのだ。

テレビやインターネットの人生相談を聞いていると「根っこは皆同じだな」と思う。情があるから修羅場になる。人は本能的に愛したら依存的になるし、そのために起こる弊害もあるから、なるべく依存しないで相手を理解しようとすることは、私なりの愛し方、というより美学なのだ。

美学は信念を持って生きている人にしか通じない。だから美学を持っている人に惹かれるし、そういう人だからこそ信頼できる。
人のエゴにため息をついている夫も、人生や人間関係において、自分なりの美学を持っているのだろう。

そしてこれから、仕事を通じて良い出会いを果たすには、社会に何を与えていくかをもっと煮詰めないといけない。思わず「うわー」と思ってしまうエゴも含めて、ちゃんと向き合っていく覚悟が決まるまで、自分自身から出てくるものを一つ一つ拾って確認していかないとね。

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理解しがたいものを理解し受け入れるために書いています。自由でスピリチュアルな風の時代に、私の気づきがお役に立てればと思います。

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