父のパーキンソン病が進行して喉の筋肉が落ち、何かを一生懸命言おうとしても言葉にならない。伝えたいことがあるのに無念だろうな。それがわかるから、私はお見舞いに行った時は、精一杯父の言葉に耳を傾けている。
喉の筋肉が弱ったのだろうか、父は力ない声で、あううう、と苦しそうに言った。しかし目は真っ直ぐに私を見ていた。何か伝えたいことがあるようだ。私は、じっと父に耳を傾けた。
家族の「死」をこれほど身近に感じたことはなかった。何気なく送ってきた日常をこれほどまでに尊いと思ったことはなかった。一緒にいるものに甘えたり頼ったり、不平不満を言って喧嘩したりできることが、どれだけ平和で幸せなことかを実感する。