24〜5歳の時だった。両親と箱根に旅行した時に、ちょうど美術館でマリー・ローランサン展がやっていた。柔らかい色彩の、どこか憂いを抱えた女性像、画面の中で寄り添う女性たちの甘やかな感触と、美術館の窓から見えた芝生の輝くような黄緑に、かけがえのない平和を感じたのを覚えている。
マリーが多くの女性像を残したのは、女性をこよなく愛していたからだ。男性と恋愛や結婚したこともあるが、うまくいかず、マリーの最期を看取ったのは、彼女と同居していた家政婦だった。
私は、単身の女性像より群像が好きだ。二人、三人で寄り添う女性たちは互いをいたわり支えあっているようで、遠い昔になくしたものを思い出させてくれる。
女性は歳を重ねていくうちに、毒々しさを身につけていく。愛や欲望を知って、たくましくなっていくけれど、マリーの絵には、そういったものはない。柔らかな光にふんわりと馴染んで消え入りそうな悦びと優しさ。まだ幼い頃、初めてできた友達に寄り添った時の、髪を撫でていく風と光、甘やかな感覚を思い出す。こんなふうに自然と一体になれた日々を懐かしく思う。
マリー・ローランサン キス 1927年
About TOMOMI SATO〜人生開拓アーティスト佐藤智美 プロフィール
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岡本太郎といえば、「芸術は爆発だ」の言葉で有名だ。鮮やかで毒々しい立体や平面作品が印象的だが、本当に人間の生命力とは何かを深く見つめている人だなと思った。
昨日書いた記事が抽象的で不完全感があったので、「子持ち様」問題についてもうすこし調べてみた。特に職場で子供のために急に休む人のしわ寄せが子持ちでない人にいくことが問題視されているようだった。
ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。