20年くらい前、綿矢りさと金原ひとみが、若干20歳で芥川賞をダブル受賞したときに、小説家志望者が急増した。
当時私も詩集を出版して、ネットでブログを書き始めた頃で、心の湧き出るままに書いた物を一人でも多くの人に読んでもらいたかった。私のような輩はたくさんいたんだろうなと思う。
とにかく書きたかった。心の声を残らず吐き出してしまわないと、後で悪い病気になりそうな予感さえしていた。会社員生活で散々自分を抑圧し削ってきても、削られた私は死んでおらず、勢いを増す自己主張は危険なカオスだった。
小説学校には、私より文章が上手い人や読書量の多い人がたくさんいた。学校帰りに飲みにいくと、皆創作の話はせずに、日常の他愛もない話をして楽しんでいた。そして本当に語りたいことを語ろうとしなかった。
ただ小説家の先生だけは、私の書いたものに正面から向き合ってくれた。厳しいことを言われて傷ついたこともあったけど、あのときの先生の指導がなければ、私は今も人を傷つけるような記事を書いてネットで炎上していたかもしれない。
日本では「絵を描いています」「ブログで発信しています」というと、羨望の眼差しで見られることが多い。声にならない声を持っている人がたくさんいて、それを形にして、誰かに知ってもらいたいのだと思う。
でも、声にならない声を形にするのは、結構勇気のいることだ。社会的な抑圧を受け続けてきた人ほど、感じることを恐れて心にバリアを張っている。もし本当に心に声に気づいてしまったら、今まで維持してきた現実生活をのバランスを崩しかねないからだ。だから、まだ社会経験の少ない若い人が素直にそれをやってのけるのを見ると、とても感動してしまう。
私と同期だった小説学校の門下生たちのほとんどは、結婚したり一般企業に再就職したりして、創作から遠ざかっていった。一時的にカオスの勢いで声を形にすることはできても、それを続けていくことは難しい。
「創作者」になるとは、自分が築いてきた安定を常に壊して、新しいものを作り続けていく覚悟と言っても過言ではない。
私はこの年になっても所属するコミュニティにどっぷり浸かることがない。日常を生きていると、アンテナは四方八方に反応するけど、そんな時も自分の足で大地に立っていれば視界がクリアに開ていく。いつも身軽に動けるフリーランサーでいることは、自由に感じ思考して生きる力を育てていくと私は思う。
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昨日書いた記事が抽象的で不完全感があったので、「子持ち様」問題についてもうすこし調べてみた。特に職場で子供のために急に休む人のしわ寄せが子持ちでない人にいくことが問題視されているようだった。
ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。