昨日ワクチン接種して、今日の昼ぐらいから、だるくなってきて、関節が痛み出して、頭痛もありましたが、今はほぼ元気です。ご心配おかけしました。
体調が悪くなると、家族は皆、家事とか協力してくれるんだけど、いつも普通に流れている生活のリズムを崩してしまって申し訳ないなあ….と思って、痛いとか辛いとかいう気持ちを表に出さないように口を結んでいると、すごーく、孤独な気持ちになる。
そうは言っても、辛かったんだよね…。辛くて辛くて、もうこのまま一人で何処かへ行ってしまいたい、このまま死んじゃおうかしらって。
普段から自己コントロールはできている方だと思うんだけど、制御不能な子供の私が泣き叫んでいていても、どうしようもない自分が悲しかった。。。
一体、何に遠慮しているんだろうな。
健康を害すると、こんなに心のバランスが崩れてしまうんだなあ…。
夜から回復してきて、この気持ちを文章にしたり絵を描いたりしていると、やっと落ち着いてくる。昨日も書いたけど、人に向けたら危ないものは、こんな形でも吐き出す事はとても大事だ。
でも、絵を描いたり文章が書いたりできなくなったら、私はどうなってしまうのだろうか….。
私を心配してメッセージをくれた人、ありがとう
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昨日書いた記事が抽象的で不完全感があったので、「子持ち様」問題についてもうすこし調べてみた。特に職場で子供のために急に休む人のしわ寄せが子持ちでない人にいくことが問題視されているようだった。
ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。