子育て中の私は、ママ友集団が苦手だった。
挨拶しても顔を背けるし、街で会っても逃げていく人がいて、何を考えているかわからない怖さがあった。
朗らかで可愛いママさんと仲良くなったことがあったけど、女って仲良くなると安心するのかな、彼女の良い面と悪い面が過剰に私に侵食して、体調を崩したこともある。
どうしてこんなに神経質だったのだろう、と、振り返ってみても驚く。
巷のお母さんたちの間でも、そういうトラブルはよく聞く話だった。
あの時私は、とても頑張っていた。自分のためにではなく、人のために。
そうすることで、愛されたかったし、認められたかった。
こんなに頑張っているのに、愛されない現実に直面すると、遠い昔に傷ついた私が出てきて、いちいち泣いていた。
もしかしたら、他のお母さんも、そうだったのではないかなと思う。
子供と触れ合ううちに、自分の中のいろんな子供が出てきて、喜んだり悲しんだり、子供時代に得られなかったことを体験していたんだ。
そんなんだから、優秀なお母さんなんて、なれるわけがないんだ、と認めたら、やっと楽になれた。
もう話さなくなってしまった、手強いお母さんたちも、昔はどんな少女で、子育てをしながら、どんな世界を見ていたのか、今なら共感できるような気がする。
程よい距離感で。
「言葉とアートで人生をブレイクスルーするフリーランス画家 佐藤智美」メルマガ登録はこちら
【TOMOMI SATOS ART WORKS】https://www.ts-artworks.com
【TOMOMI SATOS ART SHOP】https://artworks2017.thebase.in
【TOMOMI SATOS ART BLOG】https://tomomiart.tokyo
岡本太郎といえば、「芸術は爆発だ」の言葉で有名だ。鮮やかで毒々しい立体や平面作品が印象的だが、本当に人間の生命力とは何かを深く見つめている人だなと思った。
昨日書いた記事が抽象的で不完全感があったので、「子持ち様」問題についてもうすこし調べてみた。特に職場で子供のために急に休む人のしわ寄せが子持ちでない人にいくことが問題視されているようだった。
ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。