もう80にもなる母と近況や娘の話をしていると、「あんたの娘はきっと稼ぐわよ」と、まるで希望をつなぐみたいに言う。
私が美大に行かせてもらった理由は「女性も手に職つけて稼げるようになるため」だった。母は、女性も男性のように稼げなければ対等になれないと思っているようで、私が大人になってからも、ずっと私の収入について言い続けていた。。
私が収入に拘ってしまうのは、母の影響だ。この歳になっても、母の呪いは続くんだなあと思う。
私たちの親世代が現役だった高度成長期は、男性も女性も国の経済成長のために人生を捧げていた。
社会で戦う男性を家で支えるというジェンダーを押しつけられた女性は、常に男性に人生を奪われたと感じていたのだろう(人生を奪われていたのは会社に囲われていた男性も同じだ)。
「いつか女性も男性と対等になれるように」というのは、当時を生きた女性の切実な願いなのだと思う。
私は今、夫に経済的に支えられているが、夫と私は不平等だと思わない。これまでの人生の中で私が夫を助けたことは何度もあったし、収入だけが人の評価対象ではないと思う。
そう思えるのは、社会的評価や常識から離れた私を、ちゃんと生きれるようになれたからだ。
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昨日書いた記事が抽象的で不完全感があったので、「子持ち様」問題についてもうすこし調べてみた。特に職場で子供のために急に休む人のしわ寄せが子持ちでない人にいくことが問題視されているようだった。
ネット上で子持ち世帯が批判される現象について、それが恋愛や結婚への消極的な風潮や社会的な価値観の変化、女性性の解放や新しい生き方の模索とどう関連しているかを探った。
教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。