今日は父の四十九日の法要で、横浜霊園へ行った。
墓石には父方の祖父母、亡き父の兄弟の名前が記されていた。ここには今後、父や母、弟の名前も記されるのだろうなと思うと、墓の存在意義がわかる気がした。
若い頃、長男の嫁だった母が墓守を大変そうにしていたので、良いイメージを持っていなかったのだが、いざ自分の親が墓に入ってみると、墓を大切に守っている人の気持ちがわかる気がした。
ここで墓石をきれい洗ったり、お花を供えたり、お線香を焚いてお祈りすると、心が安らぐだろうなと思った。
最近は墓を持たない人も多い。基本的に墓は生きている人のためのもので、死者が墓守を希望しているわけではない。維持も大変なので、遺族に負担がかからないように自然葬や散骨を希望する人が増えているらしい。
墓には死んだ人が眠っていると思っていた。墓参りに行くことで会える気がするから気持ちが安らぐ。
でも散骨は、死者の形跡を全く残さない。
死とは、「この世から消滅すること」だ。この事実に、今更のように愕然とする。
遺骨を墓に埋葬せず、散骨するということは、遺された人に「会いにこないでよ」と言っているみたいだ。
いくら負担をかけないためと言っても、それって本心なのか。本当にお互いのためなのか。あえてそれを希望する人は、生前に他者との強い繋がりを持たなかった(持とうとしなかった)人なのではないか。
宗教では来世とか霊界があると言われているが、死後の世界から戻ってきた人はいないし、本当のところ、どうなのかわからない。生きているうちは「今」が全てだ。
私たちは遅かれ早かれ、いずれ「消えてなくなる」ということを見据えると、今、生きているうちにやるべきことが見えるはずなのだ。
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教会で牧師さんと話していて、「ほとんどの人は欲でものを言い、動いていますね。愛って、あってないようなもの」と私が言ったら「大半の人は反射神経で喋っています。愛とか思いやりとか、深く考えない」という返答が返ってきた。
近頃周りでも、定年を迎えた夫婦の家庭問題や健康、金銭問題の話を聞く。生活レベルを落とした時に表出するいろいろな問題に誰もが諦観的なのは、老いて体が動けなくなってからでは打つ手がないからだろう。
朝起きると、和室の茶色い柱と漆喰の壁が目に入る。ちょうど私が結婚した27年前も同じものを見ていた。いつも彼と一緒にいた。そうすることでやっと生きていた自分は目に映るものがとても新鮮だったことを思い出した。
お宝鑑定団で初めて鴨居玲という画家を知った。ゴッホと同じ自画像作家として有名だが、幽霊のようなピエロのような自画像を見ていたら、目を背けていたものにまざまざ向き合わされたようだった。
大切なものは「その人」を語る。距離が近くて言いたいことを言い合い傷つけあった人たちにも、大事にしているもの、楽しみにしていることがあった。向き合った時の言葉や顔色だけでなく、周辺まで見ると、一個人が立体的に見えてくる。
【個展開催のお知らせ】佐藤智美展〜INSPIRATION 会期:2024年4月10日(水)〜14日(日) 会期中無休 時間:11:00~20:00 ※4/10(水) 13:00-20:00 4/14 (日)11:00-16:00 場所:Gallery Klyuch (カフェle bois 2F)